2003 02 20

02 20

夜、かなり久しぶりに行ったHMVで最近はまってる
グレン・グールドの「エリザベス朝のヴァージナル音楽
名曲選」を買う。

もともとルネッサンスとか古楽全般好きなんだけど、問題は
あまり良いなーっていう演奏がないっていうことで、それは
スカルラッティだったらスカルラッティ自身ほど即興的で自由
な演奏家がそんなにいないんじゃないかみたいな懐疑と同時に
バッハ以前の音楽は即興的な装飾、変奏っていうのがかなり
重要で現在の演奏家でそこに対応してる人があまりにも少ない
っていう問題があって、実際に買ってる量としては大して多く
なかったりもします。

で、なんで気付かなかったんだろうっていうくらいグールド、
しかも1950年代のグールドっていうのはその欠落を埋めて
くれる存在で、即興的かつインスピレーションに満ちている。
バッハ以前の(バッハがイイのは当然として)音楽の演奏家
として最も素晴らしいっていうことを僕は再発見したのです。
たまたま買った1959年8月のザルツブルグのライブ盤によって。
すごく遅いけど。

で、このCDも当然素晴らしいです。美しい、あまりにも美しいし
ホント、パーフェクトに近いCDだと思うんだけどひとつ思ったの
はこれはやはりスタジオ録音だ、ということです。

誤解しないで欲しいのは、僕は「音楽はやぱりライブだよねー」
とか「ライブが自分の全てっすから」っていうナマ至上主義者
では全然ないし、人のライブに行ったりすることもそんなに好き
なほうじゃない。です(自分のライブに関しても色々思うところ
あるのですが、それは今度)。

このCDがレコーディングされたのがザルツブルグリサイタルの
8年後、グールドが一切のコンサート活動を停止してレコーディ
ングのみに専念するようになった64年の3年後の67年。

よく言われるスタジオという密室に没入することによって逆接的に
開かれた自由を手にしたっていう感じの言説なんですが、ホントに
そうなのか。いや違うんじゃないかっていうのが端的にここ最近、
演奏を聴いている僕の感想で、彼が構造というもの、スタジオの
中での構築に目覚めたのは、ヒジョーに世相に敏感なことから考え
ても当時のセリエリズムに代表されるポスト・ウェーベルン学派に
触発されてのことだと思う。

このCDにも、ザルツブルグのライブ盤にも収録されているスエー
リンクのファンタジアを聴いて感じるのはライブ盤にあった
即興的な冴えがテレビ収録用に録音された「エリザベス朝〜」
盤のほうにはない。っていうことでその替わりにあるのは楽曲を
構成しようという意志、全体的なフォルムへの意識だと思う。
しかも皮肉なのはそのテレビ収録がされたのが最後のコンサート
から2週間後、つまりコンサート活動終了後だったということで。

で、率直に言って今僕が聴きたいグールドはスタジオの中で強固な
建築としての演奏を指向するメディアアーティストとしてグールド
ではなくて、それ以前の言ってみれば単なるピアニストとしての
(もちろん天才なんだけど)グールドで、これは僕がスタジオどこ
ろかコンピュータの中のみで音楽作っていることにも関係している
と思う。そうやって演奏から離れれば離れるほど、即興的、偶発的
なものに虚をつかれることはあって(もちろん半端な即興性みたい
なものは好きじゃないんだけど)50年代のグールドのライブ録音
はまさにそれです。