2004 05 14

05 14

今、グレン・グールドのバッハ平均律クラヴィーア曲集第2巻を
聴いているんだけど、この中の16番G-minorの特にFugaが好きで
よく家で弾いていてグールドはどんな風に弾いてるんだろうと
思って買いました。
技術の差こそあれ(笑)アプローチは近かった。

日記でも度々書いているとおり、最近グールドを集中的に聴いている
んだけど、なんでこんなに音楽の内容が伝わる、っていう言い方は
おかしいんだけど、ダイレクトで存在感がある演奏なんだろうと思って
いて、ぼんやり浮かんだのはもちろん演奏が素晴らしいというのはある
んだけど、録音というのもかなりの大きいのではないかということで。

ピアノの録音は明らかに最近になればなるほど退化している傾向
にあると思う。
これはピアノだけではなくてアコースティック全般かもしれないけど
ピアノは特にそう感じることが多い。

というかマイキングの技術の多様性があまり重視されていないように
思うのだが。だから存在感のない演奏のCDが多い。

昔はピアノの録音の仕方、というかマイクの置き方だけで100近い
方法があったというのをどこかで読んだことがある。
これは推測だがモノラル録音では限られた1つのマイクにどうやって
そこで起きている事象を全て収めるかというのが勝負だったわけで
要するに音色、茂木さんの言葉で言えばクオリアに対する意識が今
より鋭敏だったのだと思う。グールドが選んだ録音の質感を聴くに
そうとしか思えない。

あと1つのマイクには集中出来るけどコンビネショーンで考えていく
と拡散と質の低下が起きるというのは音楽全体の問題でもありますね。
この辺はデザインニュースの僕と茂木さんの対談で詳しく話している
ので。