2005 05 01

05 01

昼間ICCへ。↓に行ってきました。

 シンポジウム「オープン・ネイチャー」
 パネリスト
 大澤真幸 (社会学 / 京都大学),
 郡司ぺギオ-幸夫(理論生命科学/神戸大学),
 ハンス・ディーブナー(内在物理学/ZKMカールスルーエ,ドイツ),
 マルコ・ぺリハン(出展アーティスト/Projekt Atol)

到着すると既に始まっていて、シンポジウムなのでディスカッションなのかと思っていたらそれぞれが発表、という形態になっているようでした。僕が着いたときには1人目のハンス・ディーブーナーの発表の途中。細かくは覚えていないがアートと科学の接近、融合に対して「アーティストがアルゴリズムの奴隷になってしまうのではないか」という古典的なことを言っていたので閉口する。アルゴリズムの奴隷になっているものはアートではない(から作っている人はアーティストではないですよね)。そんなもんは。アルゴリズムの奴隷って^^:。

ティーブーナー氏は後半、マルコに「でも科学者がアーティストとコラボレーションした場合、どうしても科学者が利用されるだけという構図になるのではないか」とか言っていて、ヨーロッパのアカデミッシャンに未だに多い典型的な二項対立思考=搾取、というか与えるものと与えられるものしかいないという植民地主義的思考が色んなバリエーションで展開されていて興味深かった。

マルコのプレゼンテーションは非常に興味深く、ここに全部書くのは無理なので省略するけど明確に外からの視点というか、現在のテクノロジーを使っているアーティストの中では希有なマクロな思考を継続的に展開している。ミクロになるのは容易なのでこれはホントに稀だと思う。いきなりフレーブニコフの話が出てきたのはびっくりした。フレーブニコフはロシアアヴァンギャルドの詩人で擬音語や造語によって言語と音を超える新しい詩と言語のフォルムを模索した人で、彼のザンゲジという作品に昔、音をつけたこともある。超える、浸透していくというのは非常に重要なことで、前半で盛んに言われていたアートと科学のbridgeという思考ははっきり言って古い。橋が必要なのは永遠に交わらないものだ。
郡司ペギオ幸夫氏のレクチャーは明解で簡潔で面白かった。対照的に大澤真幸氏は学校の教師のような口調で「はい、いいですか。ここからが重要ですよ」とか繰り返していて非常に教条的な印象。途中で退出して予約しておいた自由が丘のtrafficへ。髪をcut。
僕が切ってもらっている小原さんは思うに最近非常に冴えている気が。する。待っている間に渡された男性誌を見てるとたくさんヘアメイクをやっているのだが明らかに他の人達と意識の方向が違う気が。彼は自分で絵も書くし写真にも詳しい。美しいものはある、僅かだけど確実にあるということを知っている人は意外に少ない。