2005 03 02

03 02

昨日の日記で久保田晃弘さんの「お気に入りディスク」と書いてしまいましたが、そんなユルイものではなくて、という指摘が(笑)

>ユリイカですが、ちょっと補足までに。
>「越境するサウンド・ディスクガイド/(ポスト=)デジタル・ミュージック
>の14枚 by 久保田晃弘」というコーナーで、他にhecker、ryoji ikeda、
>pita、pan sonic、stephan marthieu、radianなどなどがあげられてました。

とのことでした。久保田さんすいませんでした+ありがとうございます。

えーと今日は高橋悠治playsゴールドベルグ変奏曲@浜離宮朝日ホール。

誰にも似ていないバッハ。悠治さんのバッハ演奏(だけではなくてピアノ演奏全てに言えるのだが)が語られるときに頻出するその言葉、というか定義はいよいよスゴイ振れ幅になったな。というのが感想で非常に、というかとんでもなく面白かったです。こんなにヒヤヒヤしたりドキドキする演奏、というか「音楽」はしばらく聴いたことがない。それは僕が悠治さんと知り合ったばかりにあれは確か有楽町のマリオンであった「バッハとショパンを親指を使わないで弾く」というコンセプチャルなコンサート(最後に新作の指灯明という曲も弾いたのだが、僕は自分のコンサート準備で疲労困憊していて途中から非常に気持ちよく眠ったことを覚えている)よりも全然自由でスリリングで楽しい。前人未踏の領域に行ってしまった。という感じです。

僕が強烈に印象に残っているのは一連なりの早いパッセージを弾くときの最後、力と指の運動を解き放つことで、それによって当然ながら音は外れることもあるし譜面に書いてある半音隣の音が鳴ってしまうこともあるんだけど、それを非常に意識的に試行していることによって、コントロールという側面が非常に強いピアノという楽器に対する反ピアノ的なアプローチは究極に近づく。

僕がここまで来たかーと思ったのはそうすると当然「間違えてない?」という客の反応というのがあるわけで、恐らく「既存の曲を弾く」ということにおいてそこを破ったピアニストというのは存在していないと思う。特に近代以降は。ということで、ここを破った、というか超えたことによって得た自由はいわゆるパッセージがだんごになったり、飛ばしたり、止まったり、異常に澄んだ音色で停止したりという振れ幅と絶妙なバランスを作っていて、解釈や抽象的なイメージの話ではなくて「誰にも似ていないバッハ」が出来上がる。当然ながら譜面を見ながら弾いているバッハの曲なので間違えないということはまったく可能なことだと思うのだが、それがどうしたの?っていう感じでした。

会場で偶然、茂木さんに遭遇。「こんなバッハ聴いたことない」と興奮しているのは僕もまったく同じで、えーと良い夜でした。終演後、悠治さんと雑談。帰宅。