2004 12 25
12 25
念願のウォルフガング・ティルマンス展@東京オペラシティに行く。至福。
謎の「ビデオインスタレーション」以外は本当に良くてしばらくボーッと眺めたり佇んだり椅子に座ってみたりしていた。ひたすら美しくて少し残酷ですごく現代的、というか現在的だと思う。
ただ、ずっと自分の音楽ばっかりの生活で他人の創作物にちゃんと向き合うというのが本当に久しぶりだったので、後頭部が痛くなったりクラクラしたりした。僕は展覧会に行って気に入るとよくこうなる。すごく昔、エゴンシーレの展覧会に行ったときは圧迫されるような感じで長い時間見てられなくなって疲れ果てた気がする。今日のはそれとはちょっと違うんだけど、というかかなり心地良い空間、よく考えられた構成で本当に気持ち良いのだが非常にニュートラルなクリエイティブな気(とか書くと気持ち悪いんだけどうまい言葉が見当たらない。気というか空気だな)が迫ってくる感じがあって、それはコンセプチャルではないということともすごく関係あると思う。報告、という感じはまったくないので。
で、すごくびっくりすることがあって。僕はこの展覧会を二ヶ月位前から楽しみにしていて、ずっと行きたかったんだけどその中でも特に見たかった写真が彼のパートナーだったヨッヘンがエイズで死ぬ前に病室でティルマンスと握った手をアップで写したもので、それを探してたんだけどどこにもないんですね。絶対あるという情報はゲットしていたのに。で、mariaにあれどこ?とか聞いたら、あれじゃん!とか指指されたのは会場の中でも一番高い位置に大きく貼られたその写真で、驚くことにというか呆れることに僕はまったく気づいてなかった。
これはどういうことかと言うと、この数カ月僕は自分の目線の中でしか生きていなかったんですね。要するに上を眺めるということを本当に完全に忘れていた。首の角度を上げて目を斜め上にする、という行為自体がすごく久しぶりな感じで、だから指の先が僕の目線の遥か上にあってそれが目に入ったときは本当にびっくりした。
これはいい事でもあるし悪い事でもあって、例えば000はそういう風にしてしか作れなかったアルバムだしそれは正しかったと思うけど、例えばATAK nightのライブは上を見たり、有り体に言えば視野を広げることが出来てたらもっと違った、もっといいパフォーマンスが出来たかもしれないなーとか色々考えてしまった。反省とも違うんだけど、やることはたくさんあるなという感じで。