2017 06 05

石黒浩×渋谷慶一郎×池上高志×小川浩平× 藤井直敬 :熊本市現代美術館でやった公開トークの記録

これ、一昨年の暮れに熊本市現代美術館でやった公開トークの記録です。

アンドロイドと人間についてかなり率直に喧々囂々話した記録で、なかなか生々しくも面白いので掲載しました。

美術館の広報誌には掲載されてるんだけど、webにはないので興味ある方は長いけどどうぞ。

内容は面白いです。

 

STANCE or DISTANCE?  わたしと世界をつなぐ「距離」

石黒浩×渋谷慶一郎×池上高志×小川浩平× 藤井直敬 トークセッション

 

2015年12月6日(日)19:00-21:00 ホームギャラリー

 

石黒 浩 Hiroshi Ishiguro 知能ロボット研究者(Skype参加)

渋谷 慶一郎 Keiichiro Shibuya 音楽家

池上 高志 Takashi Ikegami 複雑系科学研究者

小川 浩平 Kohei Ogawa 知能ロボット研究者

藤井 直敬 Naotaka Fujii 社会脳研究者

 

 

[冒頭、渋谷慶一郎と本展出品作品《コウカロイド》によるライブ・デモンストレーション]

 

石黒 パリでのライブの時は、低音まで響いていたと思うんだけど。

 

渋谷 会場に着いたら低音用のスピーカーはないということがわかったので。

 

石黒 だから、低音取っちゃったの?

 

渋谷 低音を取ったというか、低音にあんまり音響がない組み合わせにした。

 

石黒 パリのは、《コウカロイド》の雰囲気にも合っていて、実は好きだったんですけどね。高音が多いと「初音ミク」を思い出しちゃった。

 

渋谷 Skype越しに聞いているからだと思うけど?《コウカロイド》だけちょっと高くしていますよ。

 

石黒 うーん。じゃ、ちょっと細かいところは見えなかったんだけど、低音高音以外は同じぐらいなんですか?

 

渋谷 パリの時のライブに比べて音は軽く変えています。あれ、そのままやるんだと、そのまま完成したファイルで流しておしまいとかになっちゃうんですよ。

 

石黒 うーん。

 

渋谷 まあ、これはけっこう本題になるかもしれないけど結局、今、《コウカロイド》のこの動きだと、ボーカル以外というか《コウカロイド》もこれ以外の部分で少し頑張らないともたない。だとすると、あまり低音がない環境で、パリと同じようにリズム中心でやるというのがちょっと難しい。

 

石黒 調整やってどうだったの?小川君は。

 

小川 響いていましたよ、低音も。ただ、パリのを聴いてないから、わからないですけど。

 

石黒 詩を読んでいる声は、パリの時と一緒なんでしょ?

 

渋谷 声の中身は一緒。

 

石黒 もうちょっと首を動かしたら色々なことができるけど、まあ、手は動かないからね。

 

渋谷 でも、首の動きは、これでけっこうマックスなんですよね。

 

小川 《コウカロイド》の動きでいくと、パリの時より、ちょっとだけスピードを上げました。これ以上やり過ぎると不自然になりすぎるので。

 

石黒 まあでも、それなりに動いているわけね。Skypeで見ているぼくだけに見えてないわけね。

 

渋谷 今、どこにいるんでしたっけ?

 

石黒 羽田空港です。飛行機に乗る前に部屋を借りていて。

 

渋谷 たぶんね、リズムトラックだけの方が、詩は聞き取りやすい、ということだと思うんですよね。

 

石黒 ああ、そうかも。

 

渋谷 だからあれはパリの時みたいな割とクラブっぽい環境だと合うんだけど、今、お客さんは座っていて、そんなにすんごいパワフルな低音でもなく、という状況だと、ちょっと難しいのかな。あとYouTubeを見ている人たちが来ているんで、そのYouTubeのままの音楽そのままやっているのは、「こいつは何しに来たんだ」と、なるんじゃないかな。こうやって話していると、石黒さんがけっこう、自分の好き嫌いの主張をするところがありますよね(笑)。研究全般的に。

 

石黒 そうかもね。自分は良いと思っているのが、絶対良いんで。人のことあんまり考えてないかもしれないよね。だから逆に、渋谷は割と人のことを考えてのことかもしれないし。

 

渋谷 どういう音環境やオーディエンスの環境か、ということは、まあ、考えているんだけど。

 

石黒 ぼくらはやっぱり、学者なんで、人の意見はどうでもいいからね。

 

渋谷 そのこと、科研費に携わる人とかに言って欲しいな(笑)

 

石黒 でもね、説得するのは一般の人じゃなくて、専門家なので。専門家を説得するのは、少し違う方向なんですよね。だから、いかに問題を深く考えているかとか、ものことが本質的に近付いているか、というところを主張すればいいわけで。

 

渋谷 ただ、人かロボットと言った時の「人」というのは、石黒さんの場合は、ほとんど自分になっている気がするんですけれど。

 

石黒 一番よくわかっている「人」は自分だし、自分の感覚を通してしか「人」なんてわからないので。

 

渋谷 自分の感覚を、自分がわかっているって、どういう状況なんですかね。

 

小川 先生、いつも言っていることと矛盾していますよ。自分のことは、他人が一番よく知っているってよく言っているじゃない。

 

石黒 もちろん、そうなんだけど。その他人を観察するのは自分だからね。要するに、他人からどういう意見を取り込んで、自分の中でロジックをどう組み立てていくかというのは、自分の才能で、研究テーマは人からもらうものじゃないでしょ。

 

小川 うん。

 

石黒 だからもちろん、自分の内面を見ようと思えば、他人という鏡は必要なんだけど、それを全部合わせてどういう風に理解を深めるかは、自分の能力だけに掛かっている。

 

渋谷 いや、でも、人とロボットといったときに、それが自分とロボットだと、自分が作ったロボットはかなり良く動いているように見えますよね、当然。人とロボットの関係とか、認識とか、意識の共有とか、ということを考えた時に、人というものが自分だとすると、ぼくはジャッジが甘くなるんじゃないかという気がするんですけれど。

 

石黒 自分が、自分のロボットを作って、そのロボットは自分が絡んでいるからということね?

 

渋谷 そう。

 

石黒 でもね、この研究はまた別問題で、要するに、研究でちゃんと実験をして、統計を取ったり、アンケートをとったり、色々なことをするわけじゃない。だから、論文になるかならないかだけがポイントなので、そんなに自分の解釈を誇張しているようなところはないと思っている。だから、自分の解釈が正しいことを証明するために、例えば、アンドロイドに乗り移る感覚がどれほど強いかとか、色んな実験やアンケートをしている。

 

渋谷 それは、自分が乗り移る感覚が、ということですか?

 

石黒 他人ですね、他人。自分が乗り移ってもいいし、他人でも乗り移れるし、そういったところは、論文にちゃんと出ているので。逆に、それが通っているので、研究費がもらいやすいんですよね。

 

渋谷 その時の他人というのは、自分の周りの他人ということなのかな。被験者ということですか?

 

石黒 周りの他人ではなくて、雇用した被験者ですよね。

 

渋谷 じゃあ被験者は、このアンドロイドの動きに没入というか乗り移れるということなのかな?

 

石黒 遠隔操作すればね。話すだけでも十分乗り移れます。というのは、単純に音楽と合わせるだけではなくて、何か音楽的な要素を入れると。あ、だから、そうそう。

 

渋谷 それらしくなっちゃうんですよ。音楽とやると。出来上がっちゃうという問題があるな、と思ってやっていたんだけど。ぼくも今。

 

石黒 出来上がるというのは?

 

渋谷 やっているような、何かが出来上がっているように見えちゃう。

 

石黒 それで、アンドロイドがしゃべっているとか、歌を歌っているように見えるってことでしょ?

 

渋谷 そうそう。

 

石黒 それは、あるよ。アンドロイドからCDを流せば、歌っている感覚がすごい強いので。ぼくらはよく研究室でそれで宴会をやるんです。

 

渋谷 それ、たぶん、研究室だからだと思うんだよな。小川さんどう?

 

小川 石黒研究室の小川と申します。本当に、自分の好きな曲を歌わせて飲んでいるんですよ。面白いのが、待ち行列ができるんです。カラオケの待ち行列状態で、「次、ぼくもあの曲歌わせたい」って。すごく楽しいです単純に。

 

渋谷 それは研究室の人たちですか。

 

小川 一般の人も。初めて来た人とか、お客さんとか。「ああ、ぼく、これをぜひ、アンドロイドのミナミちゃんに歌って欲しい」みたいなのがあります。

 

渋谷 でもさ、それすごいレベルの低い話ですよね。簡単に言うと。

 

小川 超シンプルですよね。何もやってないです。ただ、さっきもちょっと話がありましたけど、案外人間って、そのくらいなんですね。

 

渋谷 そうなのかなあ。

 

小川 うん。あるレベルにおいてはですよ。それが例えば、ずっと家に居て、一年間それを見て楽しめるかというと、そうじゃない。

 

渋谷 いやだから、人とアンドロイドの問題設定で、ずっと一年間いて、それが楽しめるかという問題設定ですよね。

 

小川 いや、それもありますけど。その瞬間、瞬間のことで、楽しいか楽しくないかのところもあります。

 

渋谷 それはマネキンの人形とどう違うのですか?

 

小川 そういう状況もあり得ますよね。だいたい研究室での実験とか、ジャスト、ワンショットですよね。一年間ずっとやる実験はすごく少なくて、あまりないですよね。

 

石黒 一年やる実験は、まだやったことないんですよ。たぶんやるのはなかなか大変で、一年に一人やっても意味はなくて、研究するには二~三〇人は一年間やらないといけない。そういうのは、研究としては、なかなかちょっとできないですよね。じゃあ一年一緒にいることが目標になっているかというと、人工知能的にはもちろんそういう目標はありえるんだけど、人の存在感を表現するという範囲においては、例えば、一年一緒にいて飽きない人間はいるか、という風にも思うわけね。要するに、普通の人間で平均値とって、一年一緒にいて飽きない人間はいるのでしょうかと。

 

渋谷 飽きないという前に、人間だと好きになったり嫌いになったりという、もうちょっとでかいベクトルがありますよね。

 

石黒 それは人工知能の知能の部分が非常に大きい場合ですね。だから今使っているアンドロイドについては、知能は研究している最中ですけど、見かけとか人間らしさとか瞬間的な感情表現とか、そういったものを、組み合わせてどこまで人間らしくなるかというベースのところをやっているわけですよ。それだけだと人間でさえも、そんなに一年も関係をもてない。それでも人間と比べながらですね、これに人工知能とか他の要素を入れていったら、もっと人間らしくなるんじゃないかという期待の元にやっているわけですね。

 

渋谷 それは、動きに人工知能的なものを反映させている、ということですか。

 

石黒 動きは割と反映させやすいです。でも、人工知能というよりも、もう少し何か生物的な動きというか、人間らしさで。でも重要なのは対話の部分ですよね。そこがある程度できないと長くしゃべれないし、もしそんなのが今できてれば、とっくに世の中はロボットだらけになっていたりするなと思うし。でも、今のプロジェクトの動きはそうです。

 

池上 東大の池上です、こんにちは。石黒さんのアンドロイドをどういう風に作っていくかなんだけど、ロボットを内側から作るタイプと、外から見た時に人間らしく見えるタイプについて、昔からもう百年くらい前から乖離がある。偉い人は中を作ろうという人たちが多いのだけれども、石黒さんはその中でも画期的に外側を作ろうというところですよね。そういう点から、チューリングテストというものがあって、チューリングテストは、ロボットと会話をして、そのロボットが人と思われるか、人間と同じようなものがあると思われるかというテストなんですけれど、それを、石黒さんがアンドロイドを作って、そのテストにパスするかどうかを見ようとしている。でも、今のところたぶん、まだパスしてないんですよ。

 

石黒 お爺ちゃんにはパスします。はっきり言って、お爺ちゃん・お婆ちゃんは、アンドロイドがしゃべらなくても、最初からパスしちゃっていますけれども。

 

池上 お爺ちゃんたちがアンドロイドに近いのかもしれないですよね。

 

石黒 だから、やっぱり、人間的ではないので、誰と比べるかという問題はある。

 

池上 そう、だからさっきの話がちょっと面白くて、ロボットを作る時に、外見だけ見て、人に見えるかどうかのテストを念頭においたとしても、内部に用いる、実際の人の脳とは無関係な、今の最先端のそれこそ、深層ネットワーク、深層学習とか、色んなAIのテクニックとか、が果たして人間の外見と関係ないかというと全然そんなことないですよね。それが面白いところで、ガンガン積み込んだら、三段階ぐらいで効いてきて、人間に接近する可能性もある。

 

石黒 そうなんですよ。だから、ぼくが大事にしているのは、人が見て、「何かすごいな」とか、「ちょっと違うぞ」という、出口のパフォーマンスなんですよね。やっぱりぼくも人工知能出身なので、基本的にはアンドロイドを色々やるんですけど、いくらアンドロイドをやっても、それを表出する母体がなければ、その意味が全然わかんない。ただ単にパズル解いて終わっているというのが、ずっと続いてきたんですけど。だから、人らしきものをどこまで作れるかというのを、やろうとしております。

 

池上 ぼくは人工生命というものをやっています。生命自身を人工的に作ろうという研究をしているんですが、生命にしても人間にしても、出来た瞬間に本当に出来たかどうか、わかると思うんですよね。ちょっと違うじゃなくて、明らかに生命であるとか、明らかに人であるというものが目の前に立ち上がるはずで、ただ、それに到達できるかどうかは、わからない。

 

石黒 それはさっき小川君が言った、歌を歌わせるというのが、その断片なんですよ。それから、アンドロイドの遠隔操作をしたら、人は自分の体のように感じるというのもそうですし。遠隔操作をするなかでアンドロイドを自分の体のように感じるというのは、かなり強烈な印象ですよね。アンドロイドがカラオケを歌うと急に人っぽくなるというのは、体の動きと発話が上手くシンクロすると、何か生々しい存在感がそこに急に出てくるようなものがある。だから、みんな歌わせたがるんです。そういうのがアンドロイドの迫力だとは思っているんですよね。

 

渋谷 今、石黒さんが仰っていた、どんな複雑なプロセスかというのは、アウトプットがわかり難いとか、わかんないとほとんど意味がないというのは、音楽も全く同じことが言えます。いきなり反論的な話になるんだけど、色んなロジックとか、色んなプロセスとか、色んなコンピューターのこととか、やっている音楽はたくさんあるんだけど、ほとんどが音楽としてはつまんない。というのも人は複雑な音楽でも所詮、これはメロディー、これはビートみたいに分類してしまう。  例えば、人間がいて、ロボットがいて、その中間があってみたいな話でいうと、さっき話に出た「初音ミク」みたいなものがある。じゃあそういう人間と人工の中間みたいな話が、そこで止まっているのかというと、そうではない。例えば、OPNというアメリカのアーティストは、ベル研究所が作ったボーカルジェネレイトソフトとたぶん人間の声を混ぜているんだけど、結果的なアウトプットとしては人間の声をちょっといじっているというレベルではない異物感があってかなり良かったりするんです。それは、ボーカロイドに接近しているのかもしれないし、人間以外に接近しているのかもしれないし、ノイズに接近しているのかもしれない。とにかく、人間の通常の声ではない。でも、それがメロディーを歌っているから聴いている側はある種の満足感がある。これは、ロボットがカラオケを歌っていると人が喜ぶという話とはレベルが違うと思います。

 

池上 ぼくはまさに、それを言おうと思っていました。人工生命を目指しているのも、今の生命じゃない生命を作ることによって、生命らしさというものを逆に作ることができる。だから、とにかく、まず、複雑なものを作って、その舵として現場の生命を握るというかたちをとっていかないと、今のままを目指していると、それは、マイナスのものしか作れないですね。だから人間を作るときも、ハイパーな人間を作る。存在しないような人間というものを作ると、初めて神として人間を作れる可能性がある。だから、さっきあるようなテクノロジーを使う必要があるんだと思う。

 

石黒 池上先生の人工生命と、たぶん、ぼくとか渋谷がやっているようなことと若干違うのは、池上先生のやられようとしている今までとは違うかたちの人工生命は、専門家しかわからないものかもしれないじゃないですか。要するに、非常に深い知識を持って見ないと、それが生命に見えなかったりする、というものかもしれないですよね。でも、アンドロイトや人と関わるロボットは、一般の人の目の前にポンと置いて、それで「すごい」と言われないと、ほぼ意味がないんですよ。たぶん、音楽もそういう側面があるかなと思うんですけど。だから、ぼくはそこに若干のギャップを感じる、というのが正直なところなんですよ。要するに、一般人のアンケートを採って、例えば、これは生命ですというような定義は人工生命ではしないでしょ。

 

池上 いや、でも、最終的なところはそこにもっていかないと、いくらやっても駄目だと思いますけどね。ただそれを作るために、その、数百倍ぐらいたくさんの変種を作っておかないと、生命は作れないんじゃないかと。

 

石黒 でもそうなると、池上先生とぼくらが一緒にやる意味が、すごく大きくなると思うんですよね。専門家にしかわからない生命の説明はもう要らないから。

 

池上 それは、ぼくもそう思います。だから例えば、音にしても、なぜ渋谷さんとやっていたかというと、渋谷さんが面白いと思わないものは、たぶん駄目なんですよ。コンピューターで作ろうとする音とか、映像とかも、いっぱいあるんだけど、やっぱりそれは何かつまらないわけです。それは、何かのフィルターというか、何かの、コードというものを通ってなくてはならなくて。そのために、音楽とかアートの場合なら、そこに関しての専門家を通す必要がある。生命に関しての最後の、生命や人間に見えるかどうかを一般の人に問う、というのはどうかなあとは思うんですよね。

 

石黒 ただちょっとぼく、今話していて、一瞬矛盾を感じたのは、やっぱりぼくは自分の良いなと思うところを行くんですね。例えば、渋谷がやったパリのコンサートは、ぼくは出来は良いなと思うんです。いや、それは本物なんですよ。でもね、何て言うか、実験した中でもぼくはすごく好きな実験と、まあ、そうでない実験もある。要するにちょっと研究者がずるいのは、研究として認められるという部分と、一般の人に認められるという部分があって、何か研究者に認められている部分が逃げ道になっているという場合がある。

 

渋谷 ぼくから見るとそれは研究者全般に言えることですね。例えば、「今日の方が動いている」とか、比較の話はぼくたちにしかわかんないんですよ。それで、「これはどのぐらい人間らしく見えているか」とかいった時に、「これは、かなり良く出来ているよね」というような評価軸は、やっぱり専門家ならではのものだと思うんです。で、例えばさっきぼくが言ったOPNというグループなんかは、カラオケしか聴かないとか、AKBしか聴かないとかいう人は一生聴かない音楽ですけど、でも全然マイナーとかではなくて世界的にはかなり聴かれていて、完全にメジャーです。ただお茶の間ではない。そういうものもテクノロジーの、もしくは人間、ロボット、AIと、音楽みたいなものの境界として考えていくのか。それともAKBとか聴いている子たちが、ロボット見て喜ぶかどうかを第一段階としてクリアしよう、という話だけで進めていくのか、というのは、進化の過程も結果もかなり違うと思うんですけどね。

 

石黒 視点が違うと思うんですよね。AKB見ている人はたぶん、音楽だけで見てないですよね。あれオッサンが歌っていたら、彼らは見ないんでしょ。だから、音楽じゃないじゃないですか。総合的な問題でしょうね。

 

渋谷 だからぼくが言いたいのは、テレビしか見ない、ネットで音楽も聴かないし、YouTubeも見ないような本当の大衆に軸を合わせて、「すげえ」っていうところをみつけていかないと難しいと思うんですよね。ただ、ロボットと音楽とかアートっていうときに決してそれだけではないという、これは矛盾しているようでしないと思うんです。

 

石黒 ぼくが、一番「こういう風に成功したい」と思っているのは、一般の人は、何かわからないけど驚くようなものを作ること。理由は一切わからない、でも専門家が見ると、ある程度理由が想像できるものを一個作るということが一番大事なことかなと思っていて。

 

渋谷 それは、ぼくも全くそうなんですよ。

 

石黒 だから自己満足でもいいんですよ。一般の人が付いてこなくてもいいんだけど、一般の人が、何かこう引っ掛かるものを持ってくれれば、それで十分かな。

 

渋谷 世界に「存在できればいい」ってことですよね。

 

石黒 そうです。だから一般の人が全く完全にありとあらゆるレベルで無反応だったら、もうどうしようもないんだけれども。音楽や、人と関わるロボットというのは、人が相手なので、一般の人が、好きか嫌いかもわからないけれどなぜか気になるとか。嫌いでもいいと思うんですけどね、何か反応してくれて、それに対する説明が自分の中にあれば、一般の人を、そういう意味では、置いてきぼりにしてもいいと思っているわけですよ。

 

渋谷 うん。だから、それはぼくも同じで、ある部分は置いてきぼりにして、好きなところもやるし、ある薄皮みたいなところでは、一般の人も引っ掛けつつ、ということですよね。

 

石黒 そうそう。薄皮の部分というか、何か印象は残していかないと。だから、アンドロイドなんかも、さっきのカラオケの話も、引っ掛かるところは引っ掛かるんで、その中に面白い原理がありそうだと思っているんですよね。それを探そうとしているんです。

 

渋谷 うん。だから、ぼくの現状認識としては、アンドロイドに関してもそっちの部分がはるかに大きいと思います。

 

石黒 そうですね。アンドロイドはもう、とにかく人間らしい姿形なので、人間の脳にストレートに働いちゃうんですよね。その影響が非常に大きいんだけど、それをいかに分解して綺麗にエッセンスを出すかというのが研究で一番大きなところで、それを取り出したのが、《テレノイド》だったり、《ハグビー》だったりする。小川君が今やろうとしているちょっと面白いものがあるんですけど、そういうものだったりするんですよ。

 

藤井 石黒さんの《イシグロイド》が作られて一〇年くらい経っていると思うんですけど、その後のエッセンス的なものっていうのを、ずっと期待してきていて、《ハグビー》とか、ああいうところに行っているんだろうなあとは思うんだけど、やっぱり最初の《イシグロイド》を超えるインパクトって、何かないですね。

 

石黒 うーん。

 

藤井 この研究やって、石黒さんは上手に、とりあえずお金ずっと取っているじゃないですか。それは同じ研究者として「あざといな」と、ぼくはずっと思っていたけど。それはそれでいいと思うんですよね。だって、いっぱい研究員がいて、それをキープして、彼らがその研究費で業績稼ぐ。だけど、この一〇年ぐらいで《イシグロイド》を超えるインパクトがぼくにはなかったんで、超えて欲しいですね。

 

石黒 人間を作っちゃっているので、そう簡単には人間以上のものを作るというのはなかなか難しいんですけど、まあ、超えようとはしているんですけどね。そうですね、全く全然違うものをやらないと駄目かもしれないですよね。ただぼくは、《イシグロイド》を超える、超えないというところに、自分の目標がそんなにないかもしれないです。要するに、インパクトの大きさは多かれ少なかれ、自分が知りたいものを知るというのが基本です。

 

渋谷 ぼくは前に石黒さんと話していて、すごく印象深かったのは、「公園に自分は行きたくないんだけど、全く木も砂もジャングルジムもないんだけれども、公園にいるような気分になるという状況を作ることは可能なんじゃないか」という話をしていたじゃないですか。ああいうことは、どう考えています?

 

石黒 まだ出来てないんだけど、要するにそれをやりたいんです。アンドロイドの次に考えたのがそれなんですよね。ただ最初から人間に対する感覚を何か再現したくて、アンドロイドをやったんですけど。広く言えば、自然に対する何か強い反応がぼくらの中にも在るわけで。藤井さんが期待していたのは、そういうものかもしれないですよね。部屋に入ったら、いきなりですね、大自然の中にいるような感覚に襲われる、といったような。

 

渋谷 別に、植木鉢も何もない所ですか。

 

石黒 何にもない所。そういうものを本当はやりたいとは思うんですけどね。根本からやり方を変えないといけない、というのもあるので。まだ「こうやればいい」という確信に至っていないんですよね。一時期、けっこうやろうとして準備していたんですけど。ロボットが次々と出て来ちゃうもんだから、そっち側に振り回されちゃっているかんじはあります。

 

藤井 石黒さんはロボットを通じて、「他人を自由に操っちゃいたい」みたいなことはあるんですか?ぼくは常に、「お前の認知を全部を俺が自由に操れるぜ」みたいなところにいきたいんですけど。今言われたような、何もない部屋なんだけど何か自然のどこかにいる。それは結局、視覚も聴覚も全部自由に操れるということじゃないですか?

 

石黒 そうですね。でもそういう風に言ってしまうと、脳に信号流せばいいんだ、となっちゃいそうなんで。もちろんそれはアプローチは考えるんです。だから、やってはいるんですよね。最近ImPACTで、脳科学をかなりやっているので。その中では、例えば一番面白いのが、催眠の研究なんですけど、催眠と脳科学を合わせたような話をしてたりするんですが、ただ脳科学的にそういうものを再現するよりは、できたら環境をちゃんと作り込んで、人間の本質に、その感覚器から刺激を入れて自然な環境を作りたいとは思うんですけどね。

 

渋谷 催眠術とは違うんですよね。

 

石黒 催眠術とは違う。でもね、脳にだけ注目してしまうと、催眠術と非常によく似てしまうんですね。脳科学をやっていると、催眠術師が来てですね。催眠術師がいきなり、例えばニューロフィードバックと同じ効果か、それ以上のことを目の前でやってみせるんですよ。何のデバイスも無しに。すごいアホな話があって、脳波を読み取るヘッドギアを付けて催眠を掛けると、すごく催眠に掛かりやすいんです。

 

渋谷 あれは、そういうものじゃないんですかね。

 

石黒 そうそう。オウム真理教はまさにそれを使っていたんですよ。あれを付けると、脳をコントロールされた気分になるんですね。信者の皆がインテリジェントで知能高いので、「これはどういうデバイスか」ということを考えちゃうわけでしょ。すると、脳を操作されるようになって、今のニューロフィードバックみたいなことが簡単に起こせちゃうんですね。正直言うと、色々なフィードバックをやるより、催眠を掛けてしまった方が早いし、ヘッドギアで催眠術誘導した方がはるかに早いなあ、と思います。ニューロフィードバックというのは、例えば、視覚刺激を入れることで、脳波の出方をコントロールできるというものです。例えば、その脳の波形を見せて「滑らかになれ、滑らかになれ」と一生懸命考えると、だんだん滑らかになって、実際に脳の波形がすごく変わる、というようなものなのですが、それって、ニューロフィードバックを一生懸命やらなくても催眠やら掛ければそれで終わっちゃうんですよね。そうではなくて、普通に感覚器から刺激を入れたいなとは思う。ロボットもそうですかね。自分の目で見て、触って、やるんだけれども、じゃあ、どこまで直接操作して良いのかとかは考えますね。例えばバーチャルリアリティというのは、リアルな感覚なのかどうかとか。あれは脳に刺激を半分は直接与えているようなことになってないかとか、色々と考えちゃうわけですね。例えば、音楽もそうで、低周波の音がトントンあると、それだけで気分を左右したりする。だから純粋に、人間は感覚器から感じ取っている、意識的に感じ取っている問題と、無意識に操作されている、操作させられているという問題があって、そこを切り分けるのがちょっと難しいなとは思うんですね。

 

渋谷 でも、聴覚と視覚だったら、もう、無意識に操作できる例は、全部リストありますよね。

 

石黒 そうですね。

 

渋谷 新たに開拓する余地はあるんですか?

 

藤井 余りないと思うし、そこで脳科学とか言わない方が、よっぽど効率よく色々できると思いますよ。

 

石黒 だからさっきの、人間を超えられないかという話で、人間はやっぱり人間に対して一番敏感なんですよ。人間が人間以上に興味を持っている部分があればね、それをやりたいんですよね。何をやっても人間以下になってしまいそうなんです。だから渋谷に言っていたインテリジェントネーチャーの話とか、魂とか、色んなことをやるんですけどね。

 

渋谷 例えば適切な表現かどうかはわかんないけれど、新種の身体障害者を作る、みたいな可能性というのはあるんですか?

 

藤井 あるんじゃない、それは。だから今、ぼくらが人に一番すごい興味を引いてしまうというのは、そういう世界に生きているからで、池上さんが作った、何かグニョグニョしているような変な生き物がそのへんをウロウロしていて、そいつの言うことをきかないと殺されてしまうような状況で生きていたら、そいつのちょっとした微妙な動きとかにすごくセンシティブになってしまう。

 

池上 そうだよなあ。

 

渋谷 ただ新種の人間とかじゃなくて変な生き物とかにすると、シェアが狭くなる、というかパイが少なくなる、というのが石黒さんの考え方で、ぼくは、それはそれでわかるんですよ。

 

藤井 だからその複雑さというのが人の複雑さを超えたら、情報量がそこをきちんと解読すれば、自分にとってより良い環境が得られるのであれば、人はセンシティブになるし、人の目とか、仕草とか、衣装の情報をそこから受け取るかもしれない。

 

渋谷 だから、ぼくは思い切り複雑な生命なんかにはしない方がいい気がしている。なぜかというと、そこに興味を持つ人しか集まってこなくなるから、ジャッジが甘くなると思うんですよ。

 

藤井 オカルトっぽいものにしたらいいじゃない。

 

石黒 ぼくもそれを思っていて、オカルトっぽいものは、やっぱり幅が狭いと思うんですよね。怖さとかそういう、極端な感覚に襲われるけれども、時には愛して、時には怒って、泣いて、という非常に幅広い感覚を受け止められるようになる気がしないんですよ。だから一番人間らしい普通のものが、一番そういう意味では反応が大きいですよね。

 

渋谷 だからどうやっても、普通の人間以下のものが出来るのであれば、ぼくはやはり、新しい身体の障害とか、存在し得ないけど見てわかるある種の知的障害的なものを人間モデルで作ってそれを超える、という方向を提唱したいんですけどね。

 

藤井 それは、スーパーヒューマン的なもの?

 

石黒 でも、障害者の人は、時にもう普通の人よりも人間らしかったり、人間の能力を超えていたりするじゃないですか。義足、義手の人とかね。

 

渋谷 そうそう。

 

石黒 だからぼくはね、だんだんに我々の求める人間像が変わってきているような気がしていて、そういう風に考えるんだったら、人間と機械を合わせることで、障害者の人にもう一回注目することで、人間の幅がぐっと広がるんじゃないかな、とは思うんです。人間の多様性に繋がるので、そういう意味では面白いと思うんですけど。単に怖いとか、そういったものでは。

 

渋谷 そうそう。賞味期限が短いんですよね。

 

藤井 そうね、狭いかな。やっぱり石黒さんは、色々やったけど、《イシグロイド》と同じ方向では超えられないというのは、それが最大の知見なんじゃないかという気がしています。

 

石黒 要するに、人間が自分たちを知りたいというのが一番強いですから。見かけという一番表面的にわかりやすい部分をいきなり作ってしまったので、それを超えるのは、なかなか大変です。

 

藤井 今、渋谷君が言った無茶な拡散の仕方とかは?

 

石黒 でも、無茶じゃないと思って。だから次の東京オリンピックは、パラリンピックの方が注目されたっていいと思っています。

 

渋谷 パラリンピックの方が得をして、パラリンピックの方が記録が良くなったら、もう、だいぶ、スーパーヒューマン的なものが有利になるとは思う。

 

石黒 要するに、当然の進化なんですよね。実は数日前にユニバーサル未来推進協議会という委員会があって、元陸上選手の為末大さんと一緒にパネリストをやったんですけど、東京オリンピックの時に、どういう技術を付けるのかという話になって、皆が割と共通した意見は、「パラリンピックにもっと注目したい」ということでした。日本のロボット技術と合わせて、すごいことができるんじゃないか、という議論になって、ぼくもそういうのが本当の人間像かな、と思っている。人間は、やっぱり動物の部分はあるんだけれども、機械と融合して道具を使うようになったのが人間なので、本当に融合した形を見せると、もっと人間の多様性がみつけられんじゃないかと思っている。だからもし、自分の《ジェミノイド》を超えるものを作るんだとすると、超生々しい機械を見せるということになると思うんですね。それを、池上先生と小川君とでやりたいと思ったんですよ。それが完成したら音楽の、何て言うか、ベースとしても面白いものになるだろうと。

 

渋谷 ぼくもね、それで音楽を作った方が面白いと思っています。結局、人間が歌うのにどれだけ似ているかとか、そういう話になるわけで。口が無いかもしれないけど、全体の動きで歌っていることが感じられるということもできるだろうし。じゃあ、歌っているということはどういうことなのか、という話になってくる。

 

石黒 そうそう。だから、渋谷の音楽の幅がもっと広がる。というか、人間を超えたものがベースに、何か、スーパーヒューマンをベースにした音楽になるわけでしょ。

 

渋谷 そうそう。

 

石黒 だからそこまで示しておかないといけないので、要するにちょっと作ったぐらいでは納得できないことになる。もっともっと作り込んで、アンドロイドよりも、何か生々しいものを作らなければいけない。実は、ちょっとだけ成功した例があって、それは、むき出しのアンドロイドで、最近、平田オリザ先生が『メタモルフォーゼ(変身)』という演劇をやって、それがフランスでけっこう人気なんだけど。ものすごく、感情表現が豊かなんですよ。むき出しの体のくせして。普通の人間っぽいアンドロイドよりはるかに良いんですよね。感情移入しやすい。だから、それを超えたいなと思っているのね。それを超えるようなベースの、人間らしいアンドロイドがいる。そうすると、ちょっと、《ジェミノイド》を超えた、次の《ジェミノイド》になる気がする。

 

渋谷 ぼくもアンドロイドに関しては、そのへんが次のターニングポイントかなという気がしている。

 

池上 その通りだと思います。

 

石黒 たぶん、時期的にあと五年くらいでそういう、でもね、そう簡単にはできないんですよ。なかなか難しいですね。しかも後はやっぱり、アンドロイドは対話というか、発話しないと、やっぱり人間らしくならないところがあるんですよね。動きだけだと、やっぱり、動物的になっちゃって。システムにおける人間にはならないですね。

 

渋谷 ぼくは実際に接してたことがあるんですけど、自閉症の子の可愛さというのはそうじゃない人間の可愛さと違いますよね。だから、人間が可愛いというのが非常に多義的だとすると、自閉症の子の、自閉しているからゆえに可愛いというのは、もっと特徴的だからトレースできるかもしれないということはあると思う。そういうことと、全く人間ではない、さっき言った半分生身で半分機械とか、あとどっかは人間の形なんだけど、どっかで人間の形をしてないみたいな。

 

池上 それ、ぼくはすごく賛成だな。そのスーパーヒューマンを作るような話として、例えば、目の前に座っている人たちを見ると、動いていないからといって、アンドロイドと間違えることはないんだよね、本当の問題は、藤井さんが言うように、《イシグロイド》のところは難しくて、そこ以上いけないとか、どうなのか、っていうところがどうしてもね。

 

渋谷 でも、皮膚とかを前提にデザインの上でしなければ。

 

池上 いやいや、その皮膚にクリティカルな所があってそこを超えると、ただ置いておいても人に見えることになるわけ。

 

渋谷 いや、だから、スーパーヒューマンは、通常の意味での人に見えなくていいという話だと思うんだけど。

 

池上 まあ、そうなんだけど。でも、人を作る部分ということに関して、すごい可能性があると思うよ。

 

渋谷 いや、でも、例えば、右半分がデザイン上人間で、左半分が超合金だとして、この右半分の人間らしさにこだわる、ということじゃなくて、この総体として何であるのかということですよね。

 

池上 いや、エンジニアリングサイエンスの方向としては、そっちの方向がガンガン作れるし、ぼくとしてはやりやすい方向なんだけども。だけどなぜ、こうも動かないにも拘わらず、あまりにも、見間違えることはないのかと。そこが不思議な気がするんだけれども、そうでもないですか?

 

石黒 小川君達がやった実験で、アンドロイドをカフェに置いておいて、適当に話し相手としゃべらせておいたら、誰も気が付かなかった、という話があるんです。

 

池上 なるほど。

 

小川 その実験が簡単にどんなかんじだったのか言いますと、オーストリアのリンツという街にあるアルスエレクトロニカのカフェに、石黒先生のアンドロイドを二週間くらい置いたんですよ。そうすると、七割くらいの人が気付かない。人は、そもそも人をあんまり観察していないので気付かない。でも、三割は気付きます。人と同じくらいの動作量なのに気付くので、明らかに人間とは違うというのは、間違いないんですけどね。もう一つ面白いのは、常連のお婆ちゃんがいて、毎日毎日そこに来るので、もうアンドロイドだっていうことを知っているんですよ。最終日は同じ所に石黒先生に座ってもらったんですよ。そうしたら、「今日はなんか顔色が良いわね」と言うんですよ。また先生が、アンドロイドみたいに、わざとビクっと動いたりすると、最後まで気付かずに、アンドロイドだと思って帰って行ったんですよ。案外人間の判断も、そんなもんだったりする。

 

池上 お爺ちゃんとお婆ちゃんの感覚は、さっき話していたように超えているわけですね。

 

小川 そうですね、そこは。

 

渋谷 だから例えば、今日みたいなライブをやることと、そういう日常の中に入れていくというのは、また見方が全然別なんでしょうね。極端に、一番触れ合うとしたらどういうことが一番大事なことなの?

 

石黒 日常生活においては、《コウカロイド》はあんまり動かないけど、他のアンドロイドだったすごく自然に振る舞えることが大事ですよね。でも、注意して見ると、動きのおかしい人間もいっぱいいるんですよ。やたら気になる動きをする人っていますよ。何か、壊れたロボットみたいな動きの人間が、一〇人に三人はいますからね。

 

渋谷 います。います。

 

石黒 だから、そう考えれば、《コウカロイド》はちょっと置いておいて、《ジェミノイドF》とか、ぼくらが高島屋でいっぱい実験をやっているアンドロイドなんかは、十分人間だと思うんですよね。でも、まあ、せっかく一緒にやるんだったら、ちゃんと《ジェミノイド》を超えたいなと思うんですけど。でも、やっぱり、藤井さんが言う、「ぼくの《ジェミノイド》を超える」というのは、人間を超えるみたいなところがあって、相当大変なんですよね。

 

渋谷 あと石黒さんが石黒さんのロボットを作ったってところにインパクトがあるから、藤井さんの言っていることは。

 

石黒 まずだからぼくが機械の人間になって、半分ぐらいね。それから、そのコピーを作るぐらいのことをしないと、インパクトはないです。

 

藤井 石黒さん、死んじゃいけないんじゃないかな。

 

石黒 いや、ぼくはまず半分死ぬような目に遭ってですね、機械の体を手に入れて。で、それと同じものを作る、とかですね。何か、体張らないと、もう、超えられないような感じになってきましたよね。藤井先生、一緒にやりませんか?

 

藤井 いいですよ。じゃあ、お付き合いします。

 

渋谷 だけど、急いでやって欲しいんだよね。学者の人は遅くてさあ。池上さんとかも、みんな、遅くて(笑)。まずだから、学者にドーピングするとこから始めた方が良いだろうなと思います(笑)。

 

石黒 でも、まあ、ぼくらは、可能な限りはやろうとはしているんですけどね。ただし、もう、五年くらいやってもまだできない。でも一応ね、ある会社から、商品を出そうと思っています。商品化ぐらいできそうなのがいくつもあって。そっち側に流れそうですよね。

 

渋谷 それは良いこと。

 

石黒 良いことがあるのかは、まだわかんないけど、要するにお金が入ればまた続けられる、ということなので。

 

渋谷 まあそうですね。

 

藤井 池上さんは、体を変えるとか絶対に駄目だね。

 

池上 そんなこともないけど。

 

渋谷 池上さんも、複雑系とか言っておられるのに、けっこう、自分の身体にこだわりがある。

 

池上 そうだね。

 

渋谷 死にたくないしね。

 

石黒 池上先生、ぼくみたいに整形すれば良いじゃないですか。

 

池上 いやいや、それ石黒さんを見てやめようかなと思って。だって永遠にやり続けなくてはならないし、整形している人は止まらないですよね。

 

石黒 なかなか止められないですよ。だって、元には戻したいとは思いますからね。また、来週行きますけれど。でも、そんなにしょっちゅう行っているわけじゃないですよ。

 

渋谷 どれくらいの頻度なんですか?

 

石黒 再生医療に近いものが一つあるんですよ。ヒアルロン酸を出す成長因子を高めるのは、一回しかやっていないです。それで三~四年持ちます。まあ、一回、百万くらい掛かるんですけどね。お金がないからね。

 

渋谷 へえ。おれも四五ぐらいになったらやろうかな(笑)。

 

石黒 その後、軽いやつがあるんですよ。レーザーでリフトアップするとか、部分的なボコボコを消すとかね。そういうのは、今まで二~三回やっているんですね。

 

藤井 それは、けっこう高いのですか。

 

石黒 ぼくね、共同研究なので。

 

池上 えっ。

 

藤井 わかってないんだね。

 

石黒 そう。金額よくわかってないから、この間、他の人が行く時にぼくが紹介したら「一〇〇万取られた」と言っていたから、それくらいするんだと思う。

 

小川 いかにこのアンドロイドの顔から変わらないか、というのをお医者さんがチャレンジする共同研究。すごいですね。大阪のノリで。

 

池上 そんな共同研究あるの。

 

石黒 本当にあるんです。でも腕は良いですよ。だって、美容整形の先生が不細工だったらおかしいじゃないですか。だからその先生は、本当に若く見える。ぼくより一〇歳上なのに年下に見えますもん。

 

渋谷 石黒さんが、女性を作ったときの傾向とか、あと「きれいですよ」とか「人間っぽいですよ」と言うときの傾向って似ていませんか?かなり好みがはっきりしていますよね。

 

石黒 ぼくは割と平均的な好みだと思っているけど。

 

渋谷 いや、絶対違うと思うけど(笑)。

 

石黒 いや、でも、小川君そうでしょ?ぼくの好みって、平均的で。みんながきれいと言ったのをきれいと言うでしょ?

 

小川 いや、どうかなあ。《ERICA(エリカ)》という新しいロボットを作ったんですよ。あの顔は石黒先生の好みではないですよね。

 

石黒 ああ、けっこう理屈で作っている。

 

小川 ですよね。自分の好みを抑えて作った、きれいなロボットですよね。もう、理詰めだけで作ったロボットです。

 

渋谷 それは、実際きれいなんですか?

 

小川 それがですね。パッと見た時、皆、最初は「きれい」と言わないんですよ、面白いんですけど。要するに、パーフェクト過ぎて何か良くわからないきれいさなんです。ただ一週間くらい経つと、だんだん好きになってくる。

 

渋谷 でも、一週間くらい経つと、だいたい誰でも好きになるんじゃない?

 

小川 だんだんその顔を見慣れて来ると、ものすごく美人に見えてくるのが不思議なことなのです。

 

渋谷 一週間くらいしないときれいに見えないのは、ブスだと思うんですよ。

 

石黒 いや、絶対に、ブスじゃない。

 

小川 何か、ニュートラルな美人。

 

石黒 要するに、簡単に言うと。最近流行りの美人を、二~三〇人持ってきて、美人顔の特徴を参考にコンピューターグラフィックスで合成して、美容整形や色々なルールを当てはめて微妙に修正したというかんじですね。だから、私の好きな鼻とか、私の好きな目とか、みんなの好きなものがちょっとずつ全部入っているんですよ。だから最初は「あ、これだ」っていうかんじでは、みんな言わないんだけど、しばらくすると、自分の好みがちゃんとあって。好みじゃないところもそんなに変なもんじゃないから、割とみんなに好かれるんですよ。

 

渋谷 それって、二次元と三次元で差はあるんですかね?二次元でそういう顔ってよくあるじゃない?

 

石黒 三次元では全然違います。要するに、写真で見るとかなり良くない。でも、三次元で顔を見ると、必ず自分の好きな部分が見つかります。だから、可愛いですよ。一応、そういう理屈をもとに作っていて、理屈がないことは、あんまりやってないつもりなんです。でも、藤井さんに言われたことを肝に銘じて、何とか《ジェミノイド》を超えたいなと思います。ぼくは、そういうことを言ってもらうと、いつまでもこだわるタイプなので。

 

藤井 いや、池上さんが「裸の王様は良くないから、藤井さんが言わないと駄目だ」と言うから。本当は心にもないことなんですけど。

 

石黒 いや、これはね、本当のことだと思ったので、頑張ります。

 

藤井 石黒さんの代わりがいない上に、現状で、石黒さん以上に期待できる人がいないとみんな思っていますよ。

 

石黒 はい。ありがとうございます。池上先生と小川君たちと開発しているロボットに、渋谷が音楽を被せるのを今していますが、圧倒的なものを作りたいですよね。だから、小川君たちが最初にちょっと動かして、池上先生のところで何かやろうとしたときには、いける気がしていたんですよね。どこまで伸ばせるかは、これから、ちょっと、頑張って。

 

池上 ま、頑張りましょう。

 

渋谷 スピードですよ、絶対スピード。止まると、止まるから。

 

藤井 研究者は遅いからね。

 

渋谷 研究者は本当に遅いからね。

 

石黒 そうですね。研究者って明日のことを余り心配しなくていい人達なんです。でもぼくは目標を決めて、バンバンやっていければと思っているんですけど。

 

渋谷 そう。だからぼくも今日正直、ライブなんかやりたくなかったんだけど。開発が進むきっかけになるんだったら、助力したいということでやったんですよ。何でかと言うと、やっぱり、このロボットの動きだと、やれるとして歌わせるのは五分とか、そのぐらいのかんじになるから。なんだけど、それはプロセスと考えるんであれば、やろうって感じだけど。さっき言った、数倍理論的なものとか、そこで出会えるものなのか。

 

石黒 渋谷が言った、不気味とか障害者的なものについては、今やろうとしているものと、ちょっと近いかなあと思っている。

 

渋谷 池上さんとやろうとしているやつですか。

 

石黒 スーパーヒューマン的なものには、なりそうだけれど、本当に納得できるレベルまで頑張って持ち上げると、迫力がかなり出るかなあと思っているのね。さて、そろそろ私は、行かなければいけないのですけれども、後を、お任せしても大丈夫でしょうか。

 

渋谷 はい。

 

池上 はい。

 

石黒 すみません。では、よろしくお願いします。ぼくは藤井先生のメッセージを肝に銘じておきます。

 

小川 ずっと言われますね。

 

石黒 でも、出来たら、「どうだ」って言えるじゃないですか。

 

藤井 いやあ、本当に楽しみですね。会う度に、「どうかなあ」って思っているので。

 

石黒 わかりました。じゃあ、また、成長して、帰ってきます。じゃあ小川君、後よろしくお願いします。

 

芦田 石黒先生、ありがとうございました。石黒先生は、ドバイで開催されるナレッジ・サミットの開会式に出席されるため、ここまでの登壇となります。ここからは、引き続き、渋谷さん、池上先生、小川先生、藤井先生にディスカッションいただきます。なお、藤井先生には、「STANCE or DISTANCE?」展にSRによる《The Mirror》という作品をご出品いただいています。

 

池上 後半のセッションで考えていたのは、人らしさや生命らしさを作るのに、アンドロイドとプロジェクションマッピングという二つの方法があって。一つはマネキンとかに三次元プロジェクションして、人のみたいなものとかを映して、それはどういう風に見えるかというのを作り込んでいく方法。もう一つは藤井さんがやっているんですけども、視覚のところを全部覆ってしまって、そこに映像を見せたりするんだけど、そこにあり得ない物とかを映したりして、人間の知覚そのものをハックしようという方法。つまり、見る側をハックする方法と、見せている物を作り込んで変えていく方法があって。それらを、ちょっとずつ紹介して、このアンドロイドを再評価して、皆で話そうということを考えています。最初に、パルコで今年展示した《マヌカン・レクチャー》の映像を紹介します。

 

 

[《マヌカン・レクチャー》の映像紹介]

 

 

渋谷 ぼくはね、この作品についてもそうなんだけど。今回の展覧会をざっと見たかんじでいうと、評価できないポイントがあって、美術館でやることなのかな、ということなんですよ。だから、美術館でやるというのは、新しい技術とか新しいテクノロジーを使っているから、美術としてのレベルに達していなくてもやっていいのか、という問題がある。何でぼくがライブをやりたくないかというと、今のアンドロイドの現状で、音楽のライブをやるレベルに達してないからなんですよね。だから、例えば、このアンドロイドを使っコンサートホールもしくはライブハウスで一晩ぼくは興行できるかというとできないです。そういうものは、やるべきではない、というのがぼくの考え方で。例えば、オリンピックなんかもきっかけになっているんだけど、テクノロジーを使った何ちゃらアートみたいなものがどんどん増えると、そういうものが好きな人が寄って来て、面白いよねとか、小さい差異について語り合ってみたいな、気持ち悪いサークルが出来るわけじゃないですか。それは何も変えないから、はっきり言って気持ち悪いだけであって。ぼくはそこには賛成できないなという気分がすごく強いんですよね。どうですか?

 

藤井 ぼくは、別にアーティストでもなく、研究者の方も辞めつつあるので、居場所がどこにあるのかよくわかんないんですけど、やっぱり今渋谷君が言ったみたいに、インスタレーションとか小粒なものはすごくいっぱいある。で、皆洒落ているんだよね、お洒落が九割で、本当の見せたいものって、本当に有るのか無いのかわからないものがすごく多い。ぼくはずっと、こっち側に来るのが嫌だったんだよね。気持ちが悪いから。皆お洒落に生きて、お洒落に見せているというのが。

 

渋谷 「これわかるでしょ」みたいな雰囲気ね。

 

藤井 うん。あれが辛くて嫌だったんだけど。何かもう、腹に据えかねた感じで、今回作り始めたので。あれ自体は、自分としては、出来は本当にまだまだだと思っているんだけど。でも、狙っているのはお洒落じゃない、とは思っている。だから、そこは何かやっぱり、コアなものが一個ないと、やる意味ないよね。

 

渋谷 そうね、いわゆる古典的な完成度。「古典的な意味とか超反動的な意味での完成度とかを敢えて放棄します。何故ならこれはテクノロジーを使った新しい試みだから」というのは、九〇年代のメディアアートの焼き直しとなってしまうから、ぼくはそこにあまり新鮮さを見れないんですよ。だから多くのテクノロジー系のインスタレーションが、九〇年代のメディアアートの懐メロに見えると言うのがぼくの率直な気持ち。

 

藤井 ぼくは、それといって入り込めなかったんだけど、自分が一つ出ないと駄目なのかなみたいなところもあるし、もう「歳とっちゃったから、やる時間ないから、今やっとかなきゃ」みたいなかんじで、始めちゃった。

 

池上 ぼくはアートとサイエンスに関係なく、常によくわからない現象の技術や理論というのがあって、それは開拓せざるを得ないと思っている。だから、今さっきのパルコのファッションショーの一部として提示していて、渋谷さんの言っている古典的な、もっと言っちゃうとアートのセンスというものとして成立するということはしてないし、あまり面白くないことに同意する。だけども、その上で、技術的なブレイクスルーとか理論的なブレイクスルーがないと、ぼくはあまり出す気にならない。だから、それを、それがなしで出していることが批判の対象になるのはものすごくわかるんだけども、何かブレイクスルーにつながるならば、それはアートもサイエンスも関係なく人にはわかると期待しています。

 

渋谷 わかる、わかる。だから、例えば、池上さんのやっていることや考えていることは九九%、一〇〇%に近いぐらい面白いと思っているんだけど、今のやつとかに関すると、ぼく実物を見てるじゃない。だから、そういう技術的なブレイクスルーがあったとしても。

 

池上 ないない。ないです。

 

渋谷 ないでしょ。

 

池上 それはないです。ないんだけど、ぼくは、これを何で今見せたかと言うと、本当にアンドロイドを作っていくことで人に近いものを作れるのかどうかということを石黒さんに聞いちゃったけど、まだ懐疑的なわけ。で、だったらマネキンに三次元プロジェクションして人を映して、そこにどういう風にしたら人が見えるかということをやってみた時にどうなのか、ということを、ちょっとやってみようと思ったりしたんです。

 

藤井 ああいうのはけっこう昔からあるじゃないですか。でも、それは自分でやってみないとわかんないからやってみたと。

 

池上 そうそう。かつ人間を映しても、その場にならなくちゃわからない。人を映すよりも、そこに何かグリッチを入れたり青い線を入れたりした方が、人が見ていてけっこう生命感があるわけ。だから生命性とか生き生きとしたかんじと言うのは、実際に人通りに映すことじゃなくて。むしろ、人間にはあり得ないような、顔が青くなっちゃったり、すごく揺れちゃったり、不気味なことを作った方が、かえってそこに人間性というか、生命的な実在性が立ち上がるんだなあと思った。それでさっきの話に繋がるんだけど。つまり、人間を見て人間の通りに作るんじゃなくて、あり得ない人間を提示することで、人間らしさを浮き彫りにできるんじゃないかと思っている。

 

渋谷 やっぱり問題は、人間らしさというのは、どこまで行ってもその人、個人差があることも考慮しないといけない。

 

池上 ぼくには、その問題はよくわかんない。

 

渋谷 だから、そこを基準にロボットや人間を考えていくというのは、どうもリスクな気がするんですけど。

 

池上 いや、それはぼくは同意している。だから、ここでやっているように、さっきの変な青色が入っちゃって多重になっている顔を作って…。

 

渋谷 ぼくはその青いのが入っても、それが人間らしいとは思わないんですよね。

 

池上 それを言われちゃうと、もうどうしようもないんだけど。でもね、そっちの方を追求していく方向として可能性があるように思える。さっきの渋谷君が言ったような、パラリンピックの方がね、記録がすごく伸びだして、そっちの方が記録と並べてくかということに興味が向くと思っています。それと同じ様に、あり得ないような美人とか、あり得ないような男らしさみたいなものというのは、作っていくことが可能だと思うんだけど。それは人そっくりな部分じゃなくて、人とはずらす方向に入っていると思う。それの0.1歩くらいとしてやった所があって。

 

渋谷 そのあり得ない美人って言うのもさ、やっぱり美人っていう概念じゃない?概念ってやっぱり共有できないじゃないですか。

 

池上 まあ、それを言うなれば、人間性の新しい概念を作るってことを目指しているわけ。

 

小川 一ついいですか?今の渋谷さんの考えには完全に同意なんです。だから、ぼくらがロボットとかを機械っぽくするという理由は、人の想像力を使うことだと思うんです。だから、こちらが定義して、それに従って何かをデザインしたりすると、そこから外れた人にとっては、もちろんそうじゃなくなってしまう。デザインすればするほど、そういう問題が起こるので、なるべくデザインをしない状態で、人の想像力だけを上手く喚起できるようなデザインにすると、色んな人にとってフィットする、良いロボットや人らしいロボットが出来るんじゃないかというのが、今やろうとしていることなのかなと。

 

渋谷 ただ現状だと、やっぱりロボットにすごい興味がある人ではない人が見て、だいたいの感想が「マネキンぽい」ということなんですよ。《コウカロイド》にしても、《ジェミロイドF》にしても。

 

小川 それは、そうだと思います。なので、今回、池上先生とやろうとしているのは、要するに目が剥き出しで、顔の色も真っ白で、ちょっと凹凸があるぐらいのもので、ギリギリ人間なんですよね。動きだけを人間っぽくすると、自分の理想をプロジェクションできる。だから、そういうのを作れたら勝ちだなと思うんです。

 

渋谷 ある人と話していて非常に面白いと思ったのは、アンドロイドは人間の真似をしている限りは人間を超えられない、と言っていたこと。例えば、マイケル・ジャクソンのアンドロイドを作ったとしても、マイケル・ジャクソンの顔がプリントされたTシャツは売れるけど、マイケル・ジャクソンのロボットの顔がプリントされているTシャツを買わないじゃないですか。だから、すごくわかりやすく言うと、キャラクターとしての強さというのは、人間を真似しているアンドロイドは、水で薄めているかんじになっちゃう。

 

小川 そうですね。例えば、ぼくらの顔だって朝と夜で違うわけで。ひとつのピクチャーで人間を完全に表象するようなものはないわけですよね。だから、例えばマイケル・ジャクソンを作るんだったら、誰しもが納得するマイケル・ジャクソンの定義があれば、そこだけ満たすマイケル・ジャクソンを作ったら、それはたぶんマイケル・ジャクソンになる。これは、そういうかんじです。

 

池上 でもさ、ぼくは人工生命で、なぜあり得ない生命を作ろうとしているのかというと、生命を作ると、必ず生物学者が「本当の生命の方が面白い」と文句を言いに来るわけよ。「それは面白いね、でも本物はもっと面白いんだよ」みたいなことを言うから、頭にきて、じゃあ全く似ていない生命を作れば、そういうことを言われないな、と思っていた。それは、ある特異的な方向を目指していると、結果として生命が出来ると思っているところがあり。普遍的なことを挙げちゃうと、生命の普遍的な特徴として、自己複製するとか自己維持するとか、そういうものを持たせるようなものを作っても生命は見えない。だからそこは、普遍的なものを抽出するのとは、別のことをやらなくちゃいけない、と思っているんです。

 

渋谷 だから、ジャッジするには、学者が思っているよりも実際に数が多いと思うんですよね、これもあれもクリアしなくちゃいけないということが、学者が考えているよりも、人間というものが介在すると、やたら増える。でも、その増えているということに、学者がまだ追いついてない気がするんですね。

 

池上 そうかもしれないね。

 

藤井 知性みたいなことを言うと、必ずチューリングテストが出てきて、それを必ずクリアしないといけないみたいな課題設定が間違っている気がしていて、チューリングテストを通らない人間なんていっぱいいるのに、設定自体に囚われちゃって、すごく不自由な気がしますね。

 

渋谷 そうそう。だから、すごく頭のおかしい人間とか作ってみた方が、まだぼくはわかる。

 

小川 面白い映像あるので準備します。これは齋藤達也さんというアーティストと一緒に作ったアンドロイドのパフォーマンス作品です。どういうものかと言いますと、ステージ上にアンドロイドが座っているんですね。で、あまり多くを知らされてない美容師が舞台に上がるんですよ。それで「髪の毛切って下さい」とアンドロイドに言われるんです。実はこのアンドロイドはしゃべれる言葉が二〇種類くらいしかないんです。それでどのくらい美容師が上手くそういう場でも会話が破綻しない様に対応するかという話なんです。これでたぶん、わかると思うんですが、二〇個くらいで案外しゃべれちゃうよ、ということなんです。

 

 

[《模像と鏡像 – 美容師篇》の映像上映]

 

 

映像の音声・美容師 どうします?

 

映像の音声・アンドロイド 短めにお願いします。

 

映像の音声・美容師 しゃべるんですね!短めで。

 

映像の音声・アンドロイド もちろんよ。

 

映像の音声・美容師 動くんですね。

 

映像の音声・アンドロイド 気に入っているわよ。

 

映像の音声・美容師 あ、すいません。短めでいいんですね。じゃあ。

 

映像の音声・アンドロイド はーい。

 

映像の音声・美容師 はい、わかりました。

 

映像の音声・アンドロイド ちょっと、近過ぎる。

 

映像の音声・美容師 すいません。じゃあ、切りますね。いや、手が震えますね。じゃあ、お任せでいいんですよね。

 

映像の音声・アンドロイド はーい。

 

映像の音声・美容師 はい。じゃあ、勝手にいっちゃいますからね。

 

映像の音声・アンドロイド 短めにお願いします。

 

映像の音声・美容師 あ、短め限定でね。はい、オッケーです。

 

 

小川 ちょっと見ていると、このアンドロイドは確かに頭が悪いんですが。職業美容師のちゃんとしゃべらなきゃいけないというフレームや状況性が入り込むと、こんなに上手く破綻がないように対応するんですね。そうすると、チューリングテストって何だろうなという気がしてくる。

 

渋谷 でもね、ぼくはやっぱり、これは何のサンプルにもならないと思うんだよね。ただ面白いだけだと思う。面白いから許されているだけで、人間とロボットのコントとしては面白いんだけど。人間とロボットの会話で、ある種の実証にはなってない気がする。

 

小川 ぼくが思うのは、このくらいの人間は、いっぱいいるじゃんと言いたいのです。

 

渋谷 いや、馬鹿はいっぱいいますよ。

 

小川 そうですよね。だから、何でアンドロイドだけにパーフェクトを求めるんですか、という話です。

 

渋谷 それは、人間の相手の能力というのを、例えば状況的にね、今日知り合った女の子を口説き落として、自分の部屋に連れて帰ってセックスして明日の朝帰るということを、ロボットが実現しようとしたら、すごく大変でしょ。

 

小川 ぼくもできないです。

 

渋谷 人間ですら難しいわけですから。ただ、そういうことだと思うんですよね。

 

小川 どういうこと?

 

渋谷 だから、人間とロボットの関係というのが、会話はこのぐらいでも、ロボットでも人間と会話が成立するんですよ、ということが言えるとしたら。

 

小川 だから、人間も、例えばですよ。ぼくらの会話に、ここに家の母が来たら立ちつくしますよ。全く入れない。でも、人間ですよね。

 

渋谷 まあ人間なんだけど。入れない場合は、やれ帰るとか、あと立ちつくすとか、そのバリエーションは、たぶんこれよりかは全然複雑だと思うんですよね。

 

小川 バリエーション。何パターンぐらいですかね。ぼくはそんなにないような気がするんです。二〇パターンで足りるんじゃないかなって。

 

渋谷 いや、パターンの数は足りるんですけど。言うタイミングとか、言う言葉同士の間隔とか、言う言葉の大きさとかを全部パラメーター化していくと、「あなた達は何言っているかわからないわよ」なのか「私帰る」なのかわかんないけど、言っている言葉の種類が少なかったとしても、かなりのパラメーター値がぼくは取れると思う。

 

小川 なるほど。そこを自然に言う方法としてのパラメーターが、非常に複雑であると。

 

渋谷 そう。そのパラメーターの方が、ぼくは人間ということを規定しているんじゃないかと。

 

小川 なるほど。じゃあ、自然言語的な問題ではなくて、どういうタイミングで言うかとか、どういう口調で言うかとか、相手に対して自分の限られたボキャブラリーの中で話すかとか、そういう所であると。

 

渋谷 そう、それだと思う。だって、別にそんなに人と違ったこと言わないじゃない。

 

小川 それすごく良いポイントでして、この場合、実はそこの部分は人間がやっているんです。

 

渋谷 タイミングはね。

 

小川 まだそこの部分ができないのです。だから、これは二〇個で、すごい何かテキスト・トゥ・スピーチみたいな機械的な音声でも、タイミングとチョイスが上手なので、十分に人間に見える。

 

渋谷 人間の方がやっているから。

 

小川 そうです。だから今渋谷さんがおっしゃっていたところは人間がやっています。

 

藤井 ぼく、今日は意地悪な役割なんで言いますけど。これを見て、面白さ以外は何も感じないよね。

 

渋谷 うん、ぼくもそうなんですよ。

 

藤井 ぼくも「面白いね」で終わっちゃう。「一般の方々が『面白いね』と言ってくれました」と言うのはそれで良いんだけど。「皆喜んでくれたじゃないか」と言って終わるのは、研究者としては、やっぱりずるいと思う。本質から逃げている気がする。面白さに逃げているから。ぼくはたぶん、見に行って「面白い」と一緒にその場で普通の人としては笑うけど、腹が立つ。これでお前ら金取っているのかよ、と思う。

 

小川 これは研究ではないんですけども。

 

藤井 うん。でもこれはアウトプットでしょ。「研究成果のアウトプットで、こういうことをやっています」と言って見せるわけじゃん。これを見せないんだったらいいよ。なので、それは、ずるいなと思う。でも人相手のインターフェースを作るという点では、ぼくは良いと思いますけど。

 

小川 でも、ぼくはここから、インプットをちゃんと受け取ったんです。それは、今作品でしゃべっていたように、人ですら非常に状況的にあるロールを与えられたら、そこから逃れない様に、きっちり能力を働かせてやっているんだということです。だからアンドロイドを作る時も、全ての状況や多くの状況で動くアンドロイド、自律アンドロイドですけども、もちろんかなり難しいんですが、アンドロイドでできる状況というのを上手く見つければ、かなり現実社会でも働くことができる自律ロボットが出来るはずである、という仮説の一端がこれで見えたのです。これによって、ぼくが始めたのが、デパートで服を売る自律アンドロイド。売り上げで二五人中、アンドロイドは六位ぐらい売っているんですね。だから、そういう意味でぼくにとっては非常に良いベースになっている。なので、藤井先生はそう思われたのかも知れないですけど、ぼくはそういう説明ができます。

 

藤井 うん。ぼくはデパートのはすごく良いと思いますよ。

 

渋谷 例えば、相手の人間が三秒か五秒ぐらいじっと目を見て逸らさない場合は、だいたい自分に対して好意があるんですよ(笑)。少なくともすごく嫌ではないんですよ。それによって、その後の発言や行動というのが規定されるわけじゃない?そういうことは、アンドロイドでは可能なんですかね?

 

小川 実は、今ありますよ。簡単ではないですけど、キネクト一台でできるようになったので、今研究室に来るとそういうのを動かせます。でも、すごく原初的です。四〇年ぐらい前の心理学の、例えば、目線はどうやってずらすんだとか、だいたい七割見て三割ずらすとか、考える時は目線を上にずらすとか、そういう幾つかのルールが実はあるんですね。そのセンシングを上手くできさえすれば、そのルールを全部突っ込んで、何となく相手を見ることに関しては、自然に見えるだろうと、というのは可能です。

 

渋谷 そこなんだよね、そこで止まるんだよね。

 

小川 センシングは非常に難しいんですけどね。モーションキャプチャーシステムを相手に付けて、どこを見ているかはアイマークレコーダー付けてもらえばできますけど。そんなのアンドロイドの場合は状況的に許されないので、外部にすごく簡単なセンサーで、それがどこにできるかっていうことは、研究者のチャレンジですね。

 

藤井 ぼくと渋谷君が「何かここを超えて欲しいんだよね」という所は似ているんだと思うんだけれども。

 

小川 どこですかね?そこの本質を今わかることができたらすごく嬉しいですね。

 

渋谷 うーん、何だろうな。まあ、人間にそっくりな動くマネキンだとしても、面白いは面白いじゃない?でも、そのことにぼくは、そんなに意味はないと思うんですよ。その後の研究が発展しました、というなら別だけど。何かそういう、関西っぽい笑いに落とし込むみたいなノリが好きじゃないっていうことは、ぼくはあるんだけど(笑)。それとは別に、単純すぎる局面ばかりという問題もあって、複雑すぎる局面をぼくは見てないから、単純過ぎる局面の面白いものばかりを見ている気がするんですよ。

 

小川 おっしゃることは、すごく伝わりました。ぼくらはできることからやっていくんですね。できないことを今問題にしていないのが、問題なんですよね。技術的に可能な問題だけを取り扱っているから、もうちょっとチャレンジが要るんじゃないか、ということを伝えていく必要がありますね。

 

藤井 ぼくは、人間がすごい単純な行動しかしていないというのは全然否定もしないんだけど、だったら、そこに落とし込んじゃえば、人と人の、人工物と人のコミュニケーションが、それで、とりあえずは進むだろうというのが、やっぱりちょっと腑に落ちないところがあります。ぼくの単純さと池上さんの単純さは全然違う。単純同士なんだけど違います。

 

池上 ひとつだけ見せてもいいですか。有名なロボットで、ボストン・ダイナミクスいう会社が作ったロボットなんですけども、これは別に、生物を作ろうと思ったわけじゃないんですよ。とにかくまっすぐ進んで行って、敵のところに行って、やっつけてくるというロボットを開発しているんだけど、その結果として、動きとかもまあ、黒子が二人ここに入っているようにしか見えないじゃないですか。動きもすごく生命っぽいし、蹴ったりしたらちゃんと体制を立て直してくる。どういう風に立て直せ、という指令のところは作ってないんだけど、結果として一生懸命に戻ってくる。だから、元に戻らなくちゃいけないという命令だけ入っていればいい。行動そのものを生命、生物に似せようと思うのではなくて、とにかく目的にできるだけ安定して向かって行って、やっつけてこいという目的のために作っていると、こういう風に見えるんです。だから生物の動きそのものを真似て作るんじゃなくて、ある目的を与えなくちゃいけないんだよ、というのをこのロボットを見ていると思うんだよね。

 

渋谷 目的といってもさ。蹴った時に、蹴った人間を殺しにかかるようなのは、もっと強い目的じゃない?それができるようになると、たぶんすごい進化をするとは思うんです。今だと目的と言っても、蹴られてもこう戻るとか、ある種、強い科学と弱い科学でいうと、弱い科学的なところが、振れ幅の限界になっているんじゃないかと。そこの振れ幅をもっと強くしないと。

 

池上 まあ、その通りなんだけど、この話のメッセージはたぶん、いわゆる世の中で人気のあるアーティストやインテリジェンス、人工知能というのは、どういう風に戻るんだとかも全部設計しなきゃいけないと思ったわけ。どういう場合には、生きながらえるとか。ところが実際に作ってやったら、そんなものは、環境そのものの中の、相互作用の中から全部作られているから、要らないんだよね。全部、自然に付いてくる。だから、どういう風に蹴られたら戻ってくるとかも、たぶんやっつける時に相手に向かってくるというのも、そういう方向でたぶん作れるとは思うわけ。

 

渋谷 ただ、そういうインテリジェンス的なものにしちゃった方が、やっぱり選択肢の幅は広がるんじゃないかって気が、ぼくは素人で思うんだけど。

 

池上 シンボル的にした方がいいってこと?

 

渋谷 シンボル的にじゃなくて、AIを組み込んで目的を持たせたほうが選択肢の幅が広がるんじゃないかと思うわけ。要するに、別にAIなんて組み込まなくても、実地で動かしたら力学性っていうのはある程度規定されているわけだし。別に組み込まなくてもできるんだよ、と言うのはわかるんだけど、できることの幅が、AI的なものを組み込んじゃった方が、やっぱり殺すなのか、怒るなのか、逃げるなのかということが、多種多様に組み合わせられる気が、ぼくは素人感覚ではしていたんだけど、どうですか?

 

池上 人間というのは、そうやって、どこかに記号的なものを持っていないと作れない相互作用があるのだとしたら、その通りだけど、それ、そのものが、かなりチャレンジングな問題です。実際こういった馬みたいなのが出来るかもしれない。人に対して、この方向からいくのは、難しいんじゃないかとも思われていて、だからできたらすごい。どこで記号とか言語的なものとか、シンボルみたいなものが入り込んでこないといけないのか、ということはわかんないですね。藤井さんだって、今そういうのにチャレンジしているわけだし。ぼくらがやっているものとかも、すごい関係があるわけなんだけど。

 

藤井 正直言って、チャレンジしているかどうかも、よくわからないんですけど。

 

池上 でも、認知をハックする時に、例えば「ハコスコ」みたいなのはアートで、研究というよりも外に出すものだな、とは思うんですけど認知に一番接近できるには、本当はそういう風にあり得ない世界で開いていかないと、まずいんじゃないかな。つまり、いきなり何かわけのわからないものが出てくるみたいなことが、「ハコスコ」だとCGによっては行われるわけでしょ。

 

藤井 ぼくが「ハコスコ」という会社をやっていて、一番面白いと思っているのは、万の単位の人達をターゲットにした実験ができるということなんですよ。だから、ぼくの中では、一種の認知実験をやっているつもりです。ユーザーが知らないうちに、なんか変わっちゃっているという。全く気が付かないうちに、体験前と後とで世の中の見方が変わっているとか。「ハコスコ」が一億台出たら、人口の七〇分の一がもう変わっちゃうわけですね。だから、さっきの石黒さんの、「大人数でやるのはすごく大変なんだよね」と言っていたのはその通りで、ぼくもよくわかるんだけど、だったら大人数でやる仕組みを考えた方がいいと思って。だからたぶん《テレノイド》とかは、そういうことなんだと思うんだけど。それにしてもやっぱりスケーラビリティはまだ低いので、そういう点では「ハコスコ」は、完全に勝っていると思っているの。人をハックするとかね。だから、方法としては確かに、ぼくは今、池上さんが言ったようなことをやっているでしょう、結果的に。無意識にやっていたんだけど、最近そうなんだって気付いてきました。

 

池上 だから科学実験とかも、今までのやり方だと、記号的なことは頭で考えることなんだけど、その人が記号的に考えるのを超えていくことがAIの方法なんだよね。今まで人間しかやれなかった実験というのを、AIを使えば人間もやれない実験にすることができる。例えば、ものすごく細かいデータを一瞬の内に採って、そいつをフィードバックさせられるのは人間にはできないんだけど、それを使うような実験システムというのも可能になっている。そういう意味でスーパーヒューマンに近づいているわけです。あり得ないぐらい違う時間と空間のスケールを使って、人を作ることが可能になるわけです。ものすごくスケールの大きなシステムを今は用意できるようになっているぞ、というところがAIで象徴されていることだと思います。

 

芦田 話はまだまだ尽きませんが、オーディエンスの皆様から、ご感想、ご質問などございましたら、承りたいと思います。

 

質問者① とても貴重なエンドレスなトークを、楽しく聴かせていただきました。ありがとうございました。話を拝聴してぼくが感じた感想は、人間にしかできない能力は、シンボル操作と、言語化能力と、身体を持っていることだと思ったんですね。それはまだAIには対応できない所だなと思ってですね。人間の身体性というのがAI、機械との一番の違いだと思っていて、そこに、人間、ぼく達の可能性があるように感じました。

 

渋谷 いや、でも、人間にしかできないことが永遠に残り続けるとは思わないんですよね。人間の能力はかなり限定的で、今の時点でできないことがあるだけで。音楽を作るということも、かなりジェネレーティブかつオートマチックになると思っているけど、じゃあ何でぼくが言わばノーマルに音楽を作っているかというと、他方でオートマチックに作られた音楽の方が自分が作った音楽より面白いっていうことになるのが、ぼくが生きている間になる可能性の方が低いと思っているというのはある。ただ、それはぼくが生きているという個人的な範囲の話であって、例えば一〇〇年後に、そんなことが保証されるかというと、ぼくは全然そうとは思わないです。要するに、共進化というのはAIがAIをコピーするわけだから。人間にまた戻って、原本をコピーしましょう、とはならない。全く別のものが出来るから、いま想像できることは前提にならないと嘘になる。

 

池上 一つ問題は、最適化という言葉がありますね。何か関数があって、それに一番良いとこを見つけてこようってことです。それ以外の方法で改良しようということは、今のAIではできないのですよ。だから、身体性みたいなことに依拠してできること、人間がやっていることなんかは全部カバーできると思うけれども、人間の気まぐれだとかそういうことはわからないです。そういう部分はけっこう穴になっていて、巨大なデータでもあればカバーできるだろう、くらいに考えているのが今の状況で、それ以上はよくわからないところです。

 

質問者② すごく面白かったです。今日は初めてライブを間近で見たんですけれども、それで思ったのが、アンドロイドに音楽とか歌が重なることによって、すごく錯覚して、なんか人間が歌っている様な気がする。でも、それはあくまでもこっちがそういう風な、共感しているというところで、先ほどの美容師さんの映像も、美容師さんがアンドロイドに合わせることで成立している。アンドロイドからこちら側に働きかけてくるということ、アンドロイドがこちらに共感するというのは、まだまだ先なのかな、と思ったんですけど。そういう風に、人間がそういう共感するという役割で、まだその何か社会に役立つという方向性で動いているんでしょうか?

 

小川 はい、お答えします。共感している状態って言うのを、ぼくは見たことがないんです。というのは…

 

池上 人がアンドロイドだからです。

 

小川 そうです。ぼく自身が、共感している状態というのをよくわかってないので。

 

渋谷 でも、そういう人が研究者に多いことがすごい問題で。

 

小川 じゃあ、こう言いましょう。「私、あなたに共感しているよ」とアンドロイドが言ったとする。そして、あなたは「私に共感してくれているんだ」と思ったとしますよね。それでは駄目なんですか?

 

質問者② こう感じているんだろうな、という風なことでこっちが動く、といったことはできないのでしょうか?

 

小川 難しいのは、相手の内部状態、心がどうなっているかというのは、ぼくらもわからないという点です。そもそも人と人で話をしてみないと。

 

質問者② 想像ですよね。

 

小川 ですよね。だから、先ほど言ったように、アンドロイドの中身は、もう関係ないじゃないですか。それに対して「何かこの子きっと考えているはずだわ」とか、「人と共感する能力があるはずだわ」と思わせたら、その時にアンドロイドに心があるとか共感する能力がある、と言ってもいいのではないのでしょうか?

 

渋谷 でもね、そういう共感とか共鳴状態について、たぶんやらないだけであって一番有効なのはセックスロボットですよね。絶対そうなんですよ。よく抽象的に身体性とか言うけど、例えば、性感帯なんて人によって違うのは当たり前だけど、同じパンツに手を入れられたという状態でも、身体的に気持ちいいってことと、記号的、象徴的にパンツに手を入れられたという認識が混ざって反応が生まれるのが人間ですよね。で、それで喜ぶとか、それ以外にも「ここは外だし」とか(笑)、「あなたは〜だし」とかっていう、いろいろなものが組み合わさって、感情というものが構成されるわけですよね。

 

小川 それについて、最近、すごい面白いなと思っていまして。モダリティみたいなものが、だんだん組み合わさっていくと、どんどんリアルになっていくんですけど、ある所で頭打ちになるんですよね。それで、何個くらいがいいんだろう、というのは最近よくやっていて、たぶん二~三個がちょうどいいと思っています。

 

渋谷 たぶん、キーワードにできるような記号性。

 

小川 例えば、胸を触って、感触がある時は、「今、ぼくは触っています」という言葉がいらなかったりしますよね。こうやってしゃべっている時は、言葉をうまく使わないと、わかり合えた気がしないんですけど。触るとか、そういう他のモダリティが加わった時に、言葉はだんだん不要になる。

 

渋谷 いや、でも無言ではないでしょ。

 

小川 まあ、確かに。

 

渋谷 だから、セックスロボットを作るとそういう問題がクリアに出てくると思うんですよ。倫理の問題もあるとは思うけど、そこにいくとロボットってすごく変わるんですよね。

 

池上 一つのモダリティに落としちゃうと、全然話が違っちゃって。同時にパラレルに相手にしつつ、いつも何かどこかにオーバーロードしているとこが大事でしょ。

 

渋谷 身体性っていうのが人間の特権みたいなことを言うけど、進化の問題の中で身体性を考えるとしたら、実際の反応とそれとは別のレイヤーで起きている認識とか社会性、記号性の問題でそこを考えるのにセックスとロボットはかなり有効だと思いますけど。

 

池上 まあ、セックスの話は置いておくとして。

 

渋谷 でも、人間とロボットがどう違うかってことを考えるときに外せないと思うけど。

 

池上 それは、またその通りなんだけど。例えば、さっきのロボットだと、何かその、共感するものがあるじゃないですか。そんなことないですか?ぼくはこの動いているロボットにけっこう共感しましたけどね。「蹴られて可哀想に」とかって思いません? けっこうそういうものが出来ているのは、やっぱり、身体性以外に志向性をすごく持たせているからではないかと思うんです。このロボットが、他のロボットと違うのは、強い志向性があるところなんですよ。とにかく、やっつける、という志向性を強力に持たせて、そのために開発されたロボットだから。身体的なものと遂行する記号的指向性が与えられている。この場合「立ち直る」というのが記号的な指向性です。それが同時に進行しているとみなせるから、共感も生まれてくると思う。どっちかだけだったらば、まあ面白くないし共感はできないと思うんですね。だから小川君の答えと同じで、たぶんマルチモーダルに記号と身体性を合わせるとか、渋谷くんがまさに言ったような話と、強く関係していて。それが一番よく見られるのが、たぶん、セックスロボットみたいなものを作ることなんだとは思うけど。

 

芦田 そろそろ時間なのですが、展覧会に出品いただいている安藤先生が先ほどいらっしゃったので、一言、今回、皆さんのトークを聴いて、ご感想をうかがえればと思いますが、いかがでしょうか?

 

安藤 一五分前に着いたばかりであれですが、一つお訊きします。結局、記号性とか身体性といった時に、動物、例えば、ネズミとかそういうのを考えた時に、たぶん身体性はありますよね。けれど、記号性はないですよね。でも、もちろん生きているから生命感はありますよね。そう考えた時にどうなんですか、というのを、ちょっと訊きたいなって思ったんですけど。

 

池上 人間のメタファーが使える時は、今餌を取ろうとしているとか、セックスしようとしているとか、そういう解釈をすることが可能じゃないですか。記号を与えられないようなものが、ぐじゃぐじゃ動いていても何しているか、よくわからない、身体性はあっても記号性は植えつけられないですからね。そこで解釈が可能な時には記号性があるという風に考えようとか思ったのです。実際に生命システムが、記号を持つ、ということはどこから生まれたのか。

 

安藤 だから、AIというものを考えた時に、結局人間のコピーを作ろうとしていたら、たぶんさっきの話になるだろうし、動物のコピーをしたら、たぶんさっきの犬のロボットのコピーを作ろうとして、ただ目的を与えたら、という風に。

 

池上 いやいや、そこはそうじゃなくて、ボストン・ダイナミクス社のは犬のコピーを作ろうとしたものだけじゃ全然ない。逆に行くための目的だけを作ってあげればいい。その意味では飛行機で爆撃するやつだってよかったわけですよ。でも飛行機で爆撃しないとすると、地上でいくなら戦車を作るよりも、黒い犬が生まれた。さっきAIの最適化の問題の話をしたように、最適化の問題だけで作ってきたら、生き物のようなものに接近していたんです。別に黒子を二人入れるような生き物的なロボットを最初から作りたかったわけじゃなくて。安定でなおかつ迅速に移動できるものを志向したらそうなった。

 

芦田 ありがとうございました。では、これをもちまして「STANCE or DISTANCE? わたしと世界をつなぐ『距離』」関連プログラム、渋谷慶一郎さんと出品作品《コウカロイド》によるライブ・デモンストレーション、そして、石黒先生、渋谷さん、池上先生、石黒浩研究室の小川先生、そして藤井先生にご登壇いただきましたトーク・セッションを終了いたします。本日はどうもありがとうございました。