2014 11 23
ひさしぶりに
色々書くことがあるのに、忙し過ぎて振り返る暇もないまま時間が過ぎてました。
今、僕がパリで参加しているPavillonっていうプロジェクトチームのメンバーと一緒に広島の尾道に来ていて昨日は彼らが展覧会をやっている尾道市立美術館というところでオープニングがあって、僕は展示はやっていないかわりにピアノソロで演奏しました。
普段のコンサートと違ってArvo Partのfur alinaを弾いてから20分くらい即興でピアノの弦を弾いたりはじいたり、腕全部使ってトーンクラスターしたりしつつミニマルなフレーズを弾いたりというのを、蝋燭8本だけの空間でやったりした。
普段のコンサートではなかなか即興2〜30分なんて出来ないから新鮮だった。
ちなみにプロジェクト・ディレクターのAnge Lecciaはパリの有名な映像アーティストで、メンバーはフランス人がほとんど、レバノンやミャンマーのアーティストとかバラエティに富んでて面白い。すぐに仲良くなって温泉とか一緒に入ったりした笑
というわけで今は尾道のホテルの部屋に一人でいるという変わったシチュエーションなので、久しぶりにこうつらつらと書き始めたわけです。
THE ENDの後に何をリリースするかというのはなかなか難しかったんだけど、一度ATAKだけでリリースを考えたいなと思ってATAK021というのを最近リリースしました。
Massive Life Flowという3年前に恵比寿のマルジェラの上にあるギャラリーKOKOというところでやった10日間の音楽の公開制作を82分のDVDにまとめたもので、詳細はここを読んでください。
いまどきDVDをリリースする、しかも3年前にやったものをリリースするというのは珍しいというか変なわけですよね。
で、最近「音楽の未来」について取材されることが増えてて、これは半分くらいは「コンテンツとパッケージ論」のことなわけです。
僕はもっと本質的に音楽のフォームは変わると思っているからパッケージの話はもういいよという感じなんですけど。
パッケージとして商品を売る限界というのは見えている、しかしそのときに作品の質が落ちるようでは困るというのが僕の基本的な意見。
で、その背景にはパッケージでリリースするには完成というものが存在していて、CDだったらマスタリングしてプレスした商品は回収でもしない限り修正できないから、そこに向かって完成させるわけですよね。
で、そのやり直しが効かないという追い込みにクオリティが存在する、という話だったけど、最近は音楽にとってクオリティや完成とはなにか?ということに僕自身が変化が出てきているから、そこは圧倒的な根拠になっていない、というのが現状なんです。
音楽は消費者がお金を出して買うものではなくなる、というのもベーシックには明らかで、ただ買わないものに対して、何年も聴けるというタイプのクオリティに意味はあるのか?というかそういう追求というか完成度が「今」に届かない部分が少しあるんですよね。これはうまく言葉に出来ないんだけど。
つまり音楽にとってクオリティ=質という言葉の持つ意味が変わるような可能性を感じていたりもする。それは音の重ね方に新種が顕われるんじゃないかという希望なんだけど。
そんなことがグルグルと回りながらリリースした今回のATAK021というDVDのリリースは、他の場所でも話しているけど作品というよりも記録に近い。
記録というのはまず自分自身のためにあって、それ以外だと本当に見たい人が見てくれたらいいなと思ったからYoutubeで配信とかではなくてパッケージでリリースにした。
あと、最初に一度じっくり観て、その後はBGMじゃなくてBGVとしても繰り返し流せるというのは音楽とDVDの関係として有効だと思う。
だから曲はピアノを中心とした僕のベストアルバム的な側面も持たせつつ、Open Your Eyesのようにfor mariaでピアノソロで弾いているものをハウスにアレンジしたものが入っていたりして、これは今聴くとなかなか新鮮です。あとリゲティみたいな珍しいソロも入っていたり、振れ幅は結構あります。
同時に、音質的にはDSDのような高音質配信とは真逆な3年前にUstream配信した音のデータを編集して、キムケンスタジオで精密にマスタリングするという変わったことをしてて、これは普通のCDとも今流通しているハイファイとも違って面白い音の質感になってる。なんかモノっぽいんですよね。
ただ、これをリリースしようと思った最初のきっかけは僕のアシスタントで若いビジュアルアーティストでも郡司和也が編集した、僕の3年前の記録が面白かったからなんです。
それは何が面白いのか、最初は僕自身よくわからなかった。でもなんか引っかかるものがあったんですよね。
で、最近気づいたのは彼は僕が仕事場でピアノを弾いたり、作曲したり、打ち合わせしたり、メールを書いたりという、このDVDに収められているようなMassive Life(過剰な日常)を日々見ていたわけですよね。それが3年前のまだ知り合う前の僕の日常を編集して、僕のディレクションを受けつつ丁寧に一つの作品にしていくというのが、ちょっと時間が入れ子になっているような感じがあって面白かったんだけど思う。
つまり現在の仕事をこれ以上ないくらいよく見ているビジュアルアーティストでもあるアシスタントが、まだ知り合う前の3年前の自分を編集しているというのは、自分というものの位置がよくわからないというか、ドキュメンタリー的な側面もあるこの作品を浮遊させている気がする。現在とそっくりな過去を近くの他人が編集しているわけだから。
そして、これは記録メディアで出来ることの一つなのかもしれないと思ったから、リリースしてみたわけです。
よくCDやDVDを商品という枠や制約を離れて、ひとつの記録メディアとしてアプローチするというのはATAKのようにすごくパーソナルなレーベルで出来る一つの可能性だとも思う。
このパッケージもメジャーでは絶対に出来ないデザインだし。
長々と書いてしまったけど、僕の音楽が好きな人とか、逆に「名前は知ってるけど、音はどんな感じなんだろう?」と思っている人にも聴いてみてほしい。
ベスト盤的な選曲でもあると同時に僕のある側面の入門編にもなるように、そして繰り返し流しておけるというのを前提に作ったので。
今はAmazonでも買えるようになったし、もちろんATAK web shopでも売ってます。
結果的にアシスタントと僕というレーベルとしては最小限のユニットで作品の発表まで持っていけたというのは、THE ENDのあとのリリースとして良かったと思う。
ちなみに10月にやったシャトレ座のコンサートのトレーラーの白黒の部分はこのDVDからの抜粋で、これも郡司君が編集してる。