2005 06 26
06 26
ふー忙しい。日記書く時間ないや。
えーと、で昨日はシュトックハウゼンのコンサート@天王洲アートスフィアに行ってきました。前半は近作の「リヒト=ビルダー(光=イメージ)」(2002)、後半が僕の好きな「コンタクテ」(1958-1960)というテープ音楽。前提として書いておくと僕はシュトックハウゼンは比較的好きな作品が多い作曲家だ。特に「ツァイトマーセ」や初期の電子音楽、studyやetudeは大好きだ。
リヒト=ビルダーは非常に悪評高い、通して演奏すると7日間(だっけな?)かかるというオペラの抜粋による演奏会形式というものなんだけど、ひじょーに普通の音楽。悪いとも良いとも言えない感じで多少肩透かし食らいました。いや、もっとアジャパーな音楽を想像してたから。
ステージにはサテンの、魔術師のような謎の衣装を着た演奏家4人(フルート/テノール/バセットホルン/トランペット)が横一列に並んで、テノールの歌唱が線的持続をひたすら維持しつつ対位法的(って和声楽器ないので当たり前なんだけど)に上り下がりっていう、文字だけだと非常に退屈そうな感じだけど実際は別に悪い音楽でもない。恐らく音型と演奏家の動きが非常にストレートにリンクするようにスコアに指定されていると思うんだけど(例えば上行音型の場合は吹きながら楽器を上のほうに持っていったりね)それも相まって非常にワビサビな(笑)演舞みたいな感じで途中眠くなったりしつつも最後まで聴いてました。ただ、とにかく大人しい曲で対位法的にも「ル・マルトー」みたいに精緻で凝っているわけじゃないし(っていうかいつの曲だ>ル・マルトー)、歌詞カード読んだときはちょっと心配になったけど、こんなもんかなーっていう感じだった。40分の曲、動きも含めて暗譜はスゴイなと思ったけど。ちなみに僕は近年色んなジャンルで頻発している(気がする)光というモチーフは安易に超越的であまり好きではない。
で、後半のコンタクテなんだけど残念なのは音が小さいこととスピーカーの状態が悪い(音がすごく遅い)ことで、ただこれは作曲家自身が客席中央のコンソールでミックスしていることを考えると、非常に不思議。要するにこの状態でアリ、ということなわけだから。
音が悪いのは元のマルチテープが作られてからの年月を考えると致し方ない部分はあるとはいえ、非常にくぐもった、中途半端な音量の音群が頭上を移動しているのをボーッと聴きながら、こういうのがノスタルジーというのかもしれないなと思いつつ色んなことを考えた。
ここで今聴いている音楽は60年代にかけて作られた、数とコンセプトによる音群の操作を主軸にしたものであること。それが現代音楽のメインサブジェクトであった時期は非常に長かったし今も続いているのかもしれないけど最近の状況はあまり知らないなということ(自分の音楽以外からどんどん疎くなっている気がする)。そして2005年の今も、音像移動を盛んに繰り返しつつもこの身体性の全くない(ここが音の運動が大きなテーマだったクセナキスと違うところだ)音群の操作と展開を暗闇の中でじっと目を閉じて人々は聴いていること。これは目を閉じてマリワナを吸って爆音で聴いたらすごいだろうなということ。現代音楽ではクオリアに届かない。というかすっぽり抜け落ちているのは質感や音のフォルム、運動が喚起するものは何か、という意識なのではないか。50年前のテープ音楽を再演するに当って作曲者は時々ミキサーの指を滑らせたりしながら(実際一度すごくボリュームが上がったところがあった)作曲した結果=数とコンセプトを発表している。フォーカスは常に変わらない。
演奏が終了すると観客は熱狂してカーテンコールは延々と続きてシュトックハウゼンは満足そうに何度も手を振った。確かに数的操作によるある意味充実した構成による作品なので悪いものを聴いたという気はしないし、同時にノスタルジーというのはそういうものだ。とも思う。正弦波は繰り返す。さよならシュトックハウゼン。僕は違う道を進みます。