2004 08 26

08 26

・そいえば

・mariaがラフォーレの秋のキャンペーンというのに出てます。
 http://www.laforet.ne.jp/harajuku/special/408autumn/index.html

・左上のパンダですね。

・あとユニクロの店内とか外壁にもたくさん貼ってあるようです。
 渋谷のパルコの近くの店はこの前みたけど、外壁にデッカク
 貼ってありました。

・今日はサントリーホールにヴィンコ・グロボカールのオーケストラ
 曲というのを聴きに行ってきました。

・サントリーホールは5年振りくらいで、現代音楽のコンサート

・とというのも同じくらい久しぶりなんだけど

・ま、変わってないなーという印象。

・もちろん現代のオーケストラの音楽に期待できることというのは
 少ないし今回行った目的は

・高域の音の綾をホールという倍音が際立つ空間で聴いて確認したい
 ことがあったからでそういう意味では収穫もあったんだけど、

・思ったのは

・やはりステージにいるオーケストラが大きな音を出すとそれは
 オーケストラの音にしかならない

・ということで全然ダメなんですね。
 
・ハイドンだろうがラベルだろうがグロボカールだろうがそんなに
 変わらないし、記号的(笑)に翻訳されて耳に入ってくる感じが
 うーん、これは進化していないというだけではなくて典型的に
 退行しているんじゃないか。と思うわけです。

・やはり空間配置、いや建物の中に散乱したオーケストラの団員が
 時間と合図によって合奏してホ−ル自体を楽器化する

・ステージからは空間移動を伴った小さな音だけ。というのが
 絶対にいいと思う。

・あと会場で電子音楽家の有馬純寿さんに会って、有馬さんは
 グロボカールの室内楽のコンサートのマニュピレートなどで
 参加しているんだけど、やはり多様なコンテクスクトから構成
 されたパフォーマンスを含む室内楽にくらべるとオーケストラ作品
 は保守的な仕上がりらしい。です。

・僕もそれはそうだろうなという感じでした。

・しかし耐えられなかったのはグロボカールの先生にあたる
 ルネ・レボヴィッツという作曲家の曲で

・このレボヴィッツというのはシェーンベルグの弟子で12音技法
 の解説書として有名な「シェーンベルグとその楽派」という本を
 書いてたりする人です。

・この本は僕も非常にお世話になったんだけど、

・こういう本を書いたりする人の音楽っていうのは絶対につまらない
 はずだ、という僕の直感はまんまと当っていて(笑)

・し、しかもこの曲はこの日演奏されたのは初演から数えて2回目
 とかで、そんなもん面白いはずないからやめろとしか言い様がない
 のでずっとパンフレットを読み耽ってました。

・この手のアカデミックであろうとすることだけが取り柄の音楽
 というのは芸大の頃、学内演奏会とかで腐るほど演奏されてて

・僕はイヤなものに対する耐性がない方なので、ホントにしんどかった
 んだけど当時すごく不思議だったのはそういう音楽に対して教師は
 おろか、学生まで

・「うん、よく書けてる」

・とかたわけたこと言ってて、どーなってるんだコイツらと思って
 たんだけど

・しかしこの「よく書けてる」的な基準は世の中にたくさんあったん
 だなーということを後に知ったんですね。

・例えば典型的なのはポップスのアレンジとかで

・どうしようもないダサイMIDI打ち込み名人みたいなのが

・職人。とか言われてたりするし。

・ストリングスアレンジでも白玉ばっかりの凡庸としか言い様がない、
 っていうか予算がもったいないからシンセでやれと言いたくなる
 ようなアレンジが

・「うん、歌の立たせ方を知ってるね」

・とか言われちゃうわけで(笑)

・歌なんて上手けりゃ立つし、下手だったらせめてアレンジぐらいは
 面白いほうがいいと思うんですけどね。救いとして。

・そうジャンルとして確立されてしまったものは進化を欲してないので
 この手の中庸さがその維持のために必要とされるわけです。

・で、僕はそういう無意味な成熟には背を向けたい。と思ってるし
 それだけは変わらないだろうな、という確信もあります。イヤだから。