2006 03 05
03 05
アーティスト・トーク/スイス・サウンドアートシーンの現在の日。
アーティスト・トークは19時からなんだけど、僕とmariaは13時に会場の東大18号館ホールへ。日本にギュンターやノルベルト達が来る前からレコーディングを誘われてて、ホントはATAK NIGHT2の次の日3/15にやるはずだったんだけど、急遽変更して今日やることに。せっかく集まるし、場所も広いしということで。
しかし普段使用されてるホールではないからモニターの設定などに手こずり時間が過ぎていく。結局15時前くらいからレコーディング開始。メンバーは僕、maria、ギュンター・ミューラー、ノルベルト・ムスラグ、ジェイソン・カーンの5人。即興でセッションしてテイクをたくさん録っていく。何回かやるうちにレイヤー間の呼吸が合ってきて面白かった。静かなテイクでいいものが多かった気がする。
19時からのアーティストトークは最初にライブをやってからトークへ。しかし同時通訳というのは難しい。今回頼んだ黒田晶さんは作家なのでもちろんプロじゃないけど、しかしプロの同時通訳に頼んだところで日本語の話の意味が理解出来なかったら同じだ。僕も以前、質問したときに固有名詞とか細かいニュアンスを省かれて通訳されたため全然空っぽな答えが返ってきたことがあった。ただ、しかしスイスの3人は基本的には非常に静かで自分のやってることを語ったりすることがないから、機会としては貴重だったと思う。
僕は基本的には司会というか進行に徹してたけどそれも結構退屈なので(笑)普通にコメントしてたほうが楽しいし明らかに進行の適正はないなと。思いました。面白かったのは質問で「新しい〜が」というのが多くて、ジェイソンが繰り返し「新しいということは別に重要ではないと思う」と言っていたことで「僕たちがやっているようなことは60年代にグループ音楽がやってたようなスタイルだし新しいと思ってやってはいない」とも言っていた。ここには面白いズレがあったように思う。というのも彼らに演奏と作曲という境界はあまり無い。ギュンターも言っていたように構造と音色という分類があったとしたら重視しているのは音色なのは明らかなんだけど、「新しい音色」というのは「食べたことのない料理」という類いの話に極めて近い。新しさということに関してある意味共有不可能な領域で音楽をしている、というのはしかし演奏というのはそういうものだし、もっと言えば世の中の音楽の大半がそうだとも言える。つまり自然に音楽している結果、自分たちが現在やっている音楽になっている、ということだったんじゃないかと理解したのですが。だから第三項音楽や演奏や手の問題をシステムに内在化させて作曲や即興を行う悠治さんのようなスタンスとも違うわけで、しかしその違いに興味があるからATAK NIGHT2をやることにした、という側面もある。僕にとって違う、ということはすごく重要。
で、予想以上の質問の数で時間も延長して終了。下北沢の中村としまるさんの知っている店で打ち上げ。ここは美味しかったけどまたもや名前を覚えていない。