2004 06 10
06 10
インスタレーション”s[a:ou]nd”搬入の日。
TRICOがデザインした新築の集合住宅BuildingにOVAの
オーガナイザーで友人のryomaが車を出してくれてmariaと
evala君の4人で向かう(多謝>ryoma)。
で、車の中で例によって下らない話をしてゲラゲラ笑いながら
向かって意外に早く着いてしまって現場はまだ設置とかできる
状況じゃなく、消防の検査が入っていたりとにかくワサワサして
いる。
なので、4人で昼食をとることに。
市が尾というところはやたらと美容室と焼き鳥屋と集合住宅が
多い以外は何もないところで、食事をする場所も当然のごとく
なくやっと探したのがひじょーに平凡な鮨屋で、ランチをやって
いたので食べました。
安いし、別に不味くもないんだけど絶対に美味しくもないという
不思議な感じで、淡々と食事。車を出してくれたryomaと今日
設置を手伝ってくれるevala君とmariaに(要するに全部・笑)
ごちそうする。
で、その後も結局色々待ったりしつつゆっくり進行。
結局18時過ぎてから色々急ピッチで進んで設置と塗装の修正
サウンドチェックなど。
今日出来ることは全部やったんだけど、これで後は当日というのは
コワイので明日も現場に来ることに。
しかしこの作品は思った以上にうまくいったと思う。
非常に満足しています。
原因と結果を非常にデリケートに詰めていけたのと、それが
分かりやすくしかも視・聴覚的にも面白いし不断の変化があるので
まったく飽きないというものが出来たと思う。
僕は極端に聴覚寄りの人間だけど視覚と聴覚と分けるのに賛成は
出来ない。
体験というのは感覚器の分岐を無化する、もしくは繋いでこそ
意味があると思う。
視覚でも聴覚でもない、この体験としか言えないものを作りたい。
それは音楽を作っているときにも思うことだし、そもそも分ける
というのは危険な思考で、例えば中身と外見とか(CDだったら内容と
ジャケとかね)それこそ視覚と聴覚とかいう分割線を受容して発想
したところでそれは進化とはすごく遠い。
例えば進化の途中にある生物にとって、ここからが内臓であとは何々、
といった区別は存在しない。
で、僕はこれでしか有り得ないという状態、というか体験というか
モノを作りたいんですね。
話を戻すとryomaは先に帰っていたのでmariaとevala君で渋谷
に帰る。
とはいえもう21時。空腹もピークだったので宇田川交番の近くの
キャバクラだらけのビルの5Fのインド料理屋でカレーを食べる。
ここは以前行ったときはそうでもなかったんだけどすごく美味しく
なっていた。マトンとチキンとサグパニールをシェアしながら。
確かタージマハールっていう名前だったけどここの内装は見たら
笑いますよ。エレベーター開いた瞬間にウソもののインドがバーン
と目の前に広がっている。美味しいけど。
入るときにポン引きに「お兄さん、今日はキャバクラですか?」と
言われたので「ううん、カレー」と答えました