2004 05 31

05 31

・そういえばこの前、森美術館であったイリヤ・カバコフの内覧会
 というものに行ったのですが。

・物足りないなというのが正直な印象でそれは大・中・小と
 過去・現在・未来の対応というのがピンとこなかったんだけど
 多分これは僕の好みの問題もあるのだと思う。写真とか。
 
・でも、あのビッグネスな足はよかった。天使も見てみたい。

・で、同時に展示されていた若手によるビデオアート、のような
 ものがあったんだけどこれは非常につまらなかったです。

・これに代表されるように<映像>というジャンルには感性として
 どうしようもなく古いとしか言い様がない作品が結構あったり
 する。

・で、これはその典型で、が、しかしよく「重要なのは古いとか
 新しいじゃなくて」とかいう意見が存在するが「古い」とか
 「新しい」とかいうことを問題にされている時点で、その作品
 は自律性からは果てしなく遠いわけで、だったらやはり「新しい」
 体験たる何かがあるかというのは大切だと思うんですね。

・つまり「スゲーいい」というわけではない、ということでこれは
 音楽でも同様で「スゲー良い曲」というのではない限り、何らか
 の新しさというものが存在していないと(技術的にではなくて
 ね。アプローチというか感覚として。とか書くと曖昧になって
 しまうがそうとしか言えないものは、ある)僕の場合入って
 こない。つまりあまり意味を見出せない。

・逆に「スゲーいい」何かだったら新しくなくてもいいわけで、でも
 こういうことを、「いや、スゲーいい曲には必ずどこか新しい
 ところがあるんだよ」とかいうオタンコナースがいるが、そんな
 ことは絶対にないし、そういうことを言い出すと「新しいとは何か」
 みたいな個別性の問題に突入して単に疲れるから僕は非常に曖昧
 なヤツになってしまう。
 
・思うに日本の現代美術というジャンルはアジアの現代アートと
 いう枠に弱い。これは横浜トリエンナーレのときにも思ったの
 だがつまらなくてもアジアの作家だからやらせてあげる、という
 ことはよくあるはずだ。
 
・この作品でもベトナムと沖縄の関係とか水俣病が題材になって
 いることと、水中のダイバーを大画面で再生して暗い部屋で
 テクノのような音楽をガッツンガッツンかけてしまうと90年代
 前半にグラン・ブルーとかをプロジェクションしてたようなクラブ
 とかバーみたいになってしまうことは全然関係がないし現象として
 のダサさにある種のリアリティがあるとか言う言説には僕は
 結構飽きている。
 
・こういうことを言う人が少ないのが僕は非常に不思議で、大学の
 頃、疑似セリエルと武満徹を混ぜたようなスタイルで曲を
 書くと大概、土曜ワイド劇場のようになるからやめろと言って
 いたのと少し近い。感じです。