2003 10 12
10 12
終日家で作曲。
そいえば期待してたplastikmanの新しいアルバムですが
すごくハズした気がします(笑)。
要するに良くなかった、ということでどのくらい良くないかと
言うとハンパじゃなく良くなかった。です。
5年くらい前に出たconsumedっていう傑作アルバムがあって
僕は好きだったんだけど、その続編的なニュアンスもありつつも
明らかに進化していない。つまり変わっていないどころかセンス
的な部分では古さが際立っていました。
それは端的に言うとvoiceの多用(本人のらしいんだけど加工
し過ぎでゴスな印象しかない)とか、前からこれだけは良くない
なーと思っていた意味不明に暗いシンセストリングスのコードが
健在だったりとかいうことで、でもこれは趣味の問題でもあるから
置いておいても(とはいえテクノで使用されるコードは全般的に
幼稚で趣味が良くないものが多い。今、ピッチ(音程)、コードを
使うというのがどれほど注意深さが必要かということに無意識なのは
悲惨だ)重要なのは要するに5年前だったらそれだけで新鮮だった
<踊らせるという機能から自由なテクノ=ミニマリズムへの接近>
が今では全然珍しくもない(というかミニマリズムはテクノロジー
アート全般のメインストリームだし、音楽に関して言えばエレクトロ
ニカ、音響派も殆どは元テクノの人達ですね)ということで、それと
無関係に振る舞うということはもちろん可能だとはいえ、そういう意図
というか距離感に対する配慮みたいなのは少なくともに音楽には存在
していなくて大バコ対応したconsumedっていう感じの凡庸化はすごく
残念だった。
とはいえリッチー・ホーティンのミニマリズムはもともとマテリアル、
というかテクスチュアに対してではなく、いわゆる音楽的な意味での
ミニマル(ミュージック)に近いと思う。
それはトーマス・ブリンクマンの秀逸なコンセプトシリーズのリミックスアルバムとか909とシーケンサーみたいなイメージによってマテリアリ
スティックな意味でのミニマリストみたいな誤解というかズレが生じて
いた気がするんだけど音楽の中心課題がテクスチュア(音色、音その
もの)ではなく持続と展開にあることは、djセットであの音が悪い
mp3形式でファイル管理するファイナルスクラッチを愛用していること
が端的に証明している(開発者だから当たり前なんだけど)。
で、現在の状況を考えるとそういう音楽内的な意味でのミニマリスト
というのは非常に分が悪い、とはいえだったらやはりピッチとコード
というさらに音楽内的な要素に対しては厳密な検討が必要だと思う。
サムイ、サムクナイ、というのはそこで決定されることが殆どなので。
アナログな質感と機材の持つ揺らぎとズレ、リズム的複雑性と機能性
の均衡。というのがリッチー・ホーティンと彼が代表する周辺に求め
られているものという気がするのだけど、どうなのだろうか(天声人語
風。最近、朝日新聞とっているので・笑)。