2013 05 24

林永子さんからの手紙

THE END最終公演の楽屋でこれを書いてるのですが。

映像ライターの林永子さんからきた感想メールが僕も気づいてないことも書いてあったりしたので転載します。

正確にはA4Aの東市君に来たメールが僕に転送されてそれをまた転載します。

 

メールの転載ってなんか生々しくていいですね。でも手紙とは違う。

THE ENDでやりたかったのもそういうことなのかもしれない。ある意味では。

 

もちろん僕はバカではないので許可はとってますw

 

___

 

2013年5月23日 2:36 林 永子

東市さま

 

本日はお招き頂き、誠にありがとうございました。

お会いできてとても嬉しかったです。

 

取材でお話を伺ったり、YCAMに行ったみんなに感想を聞いたりして、

あらかた知ったつもりでおりましたが、

とんでもない、生で見た衝撃に、呆然としております。

 

ボーカロイドはフリーのボーカル音声ソフトであり、

そのビジュアルは誰もが自分なりに加工できるフリー素材であり、

音も映像も自由に操作してシェアしてなんぼであり、

故にミクは公共物で、故に消費されて死ぬという存在意義の大前提はさておき。

 

私は、このプロジェクトの根底にあると推測する徹底したロジックに震える思いがしました。

 

ボーカロイドの音色はこれまで、その存在意義よりMVとの親和性が高く、

約5分という時間軸で、歌謡曲の秩序的な音楽構成とそれに追随する映像表現の中でのみ有効活用される、

という印象を私は個人的に抱いていたのですが。

 

その認識を覆し、分解拡張してオペラへと展開させ、形式に則ってミクに喋らせ、歌わせる。

 

歌謡曲を歌うために生まれたミクの声の作りは、時に、舞台台詞の言葉のイントネーションやアリアとの相性が悪い。耳障りに感じる。

そう思うや否や、私の言葉は聞きづらい?、といった内容のミクの台詞が来る。

 

ミクMVに慣れた人間の視聴覚には、オペラ仕立てのお喋りと歌と舞台演出に対する馴染みがないから、面食らう。

演出が冗長に感じられる。

 

しかしそれは約5分のボカロMVに慣れてしまった自分の感性のせいではないか。

こちらがボカロの可能性を軽視しているのではないか。

オペラの流儀、構成、ロジックを下敷きとした「形式」の根幹をこちらがきちんと把握していないからこその「耳障り」ではないか。

 

そんな風に「自分のポテンシャルを疑う」ことを大真面目に考え、情緒不安定になりながら拝見しました。

 

考えれば考えるほど、私の感性が、価値観が、世の中にはびこる視聴覚情報、その質、傾向に慣れきって、これまで味わったことのない視聴覚

情報に触れてびっくりしたと考えるより他にない味わいを感じました。

ファーストタッチに驚く、故にこのプロジェクトは歴史の最先端にある先進的なエポックメイキングであるといわざるを得ません。

 

こんな感覚、久しく味わっておりません。故に、情緒が安定しない。

 

そこで思うのは、情緒って、安定しないといけないんだっけ?という疑惑。

 

人に対して安心感を与えるものは、良いものか。それは後進的かつ前例があるからこその安心感ではないか。

新しい価値観への提案に情緒が不安定になる様は、勝手知ったるもの以外を受け付けないヘタレの危機感か。

 

経験則に従ったが故に情緒が安定する視聴覚情報に慣れているこちらとしては、この作品は、新しい価値観を勇気をもってして提示するエポックであり、心がザワザワするからこそ先進的な歴史の第一歩と、私は把握しています。

 

この作品は私の見識を瞬時にものすごく広げ、深めて下さるヒントをくださいました。

本当にありがとう。

 

もし、良かったら、渋谷さんやYKBXにも、この私の感想をシェアしてください。

一段落したら、みなさんと一緒に乾杯したいです。

 

今日は、次に打ち合わせの予定もあり、ご挨拶もせずに帰ってしまい、失礼致しました。

皆様と会って、いろいろとディスカッションさせて頂ければ幸いです。

 

率直かつ生意気な発言ばかりする私で申し訳ない。

あと、無論、現在酔っぱらっていて上記支離滅裂ですが、今度お会いする際にはもうちょっとまともに頭をまとめておきます。

 

最後にYKBXが出て来た時、うっかり号泣しました。

今後とも、何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

愛と尊敬を込めて。

林永子