2006 11 25

11 25

午後、森美術館へビル・ヴィオラ「はつゆめ」展を見に行く。
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非常に混んでるなーと思ったらグリーヴランド美術館の巡回展も同時開催なんですね。内覧会以外で来るのが初めてだったのでちょっとびっくり。
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ビル・ヴィオラについて、あまりにもキリスト教的であるとか二項対立の提示に終始しているという指摘をしても始まらないのだが、問題は彼が多民族という言葉を使うときに顕われるイメージは世界を俯瞰してみつめる<わたし>からの視線であり、それが世界は2つの対極に挟まれているという思考と結びつくと何が起きるかということだ。
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世界はベネトンの広告のようではないことを知った後でこれらをどう見ればいいのか。コンサバティブでCMのようだな、といういくつかの作品(特に人間の感情に対するプリミティブな考察に関わるものや小型モニターによる作品)に対する印象は表層的なものではなく結構根が深いのではないだろうか。
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なのでそうした無意識/意識を現象が凌駕するような作品、例えば「漂流」などは文句なく素晴らしい。
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もちろんここにも対処することの出来ない大きな力と宗教画を思わせる背景の前に並んだ「他民族」の人々というある種神話的とも言える構図はむしろ十全に整っているのだが、スローモーションによって浮かび上がる精密な水のしぶきと人の意識や視線が剥離されていくプロセスのリンクがあまりにも見事なため、知覚的な体験の強度がそうしたストーリーを浸食していく過程が体験できる。
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これは、他の作品の音響がやや未整理なマルチチャンネルによる音像処理だったのに対して正に劇場的な意図で5.1サラウンドを使い切っていることも大きいと思う。虚構としての劇場を現出させるというのは5.1chの正しい使い方ではないかと思う。
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あとストップモーションとドローンの関係は似ているなと思ったり。