2005 09 01
09 01
もう9月。とはいえ変わらず仕事してます。なかなか終わらないなー。というわけで書くことない生活なので以前intoxicate誌に書いたカーデューについての原稿を。そいえばこのmaterialってぼちぼち入荷してるみたいですね。この前新宿のタワーで1枚見た気が。書いた当時は「CD屋さんのフリーペーパーにCD屋に無いもののレビューを書いた」ということで話題になったものです。
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とても美しい過渡期の矛盾
はっきり言おう。このCDは僕がここ数年で聴いた現代音楽と呼ばれるジャンルの中で間違いなく3本の指に入る傑作だ。いや、現代音楽という分別は良くないな、人間が演奏している比較的最近の音楽と言ったほうがいいかもしれない。どれだけ素晴らしいか、ということは自分のサイトの日記で散々書いているのでそれを繰り返すようなヨタはやめて同じくhat ARTからリリースされている「TREATISE」(論文)というカーデュー初期の代表作との関係も含めて書くことにしよう。
「TREATISE」は193ページから成る図形楽譜の大作で1963年から1967年に作曲された(カーデューは1936年生まれだから27歳から31歳の間に作曲していたことになる)。ここでは一貫して通常の五線記譜から逸脱したグラフィカルな書法がとられており前述した98年録音の2枚組のCDでは非常に精緻で暗く美しい一定のトーンを聴くことができる(もちろん演奏によるところも大きいとはいえ)。
この「MATERIAL」に収められた5つの音楽(TREATISEからの抜粋を含む)はTREATISEに至る過程、1960年から1964年に作曲されたものでありそれぞれのスタイルはもっとバラバラで、未完成な部分と矛盾を残している。両方のCDで指揮を担当しているアート・ランゲ(彼が偶然オーストラリアの古本屋のサイトで見つけたこれらの曲のスコアによってこのCDは生まれた)によるライナーにも「AMMの一員として自発的な即興を含むコンポジションを開拓していたこの頃の作品は楽譜への忠誠を排除しきれてはいないが、これらの不確定な記譜に対する試行錯誤の結果として究極の図形楽譜による作品=TREATISEが生まれた」とあるように通常の記譜と言語による指示、グラフィック、といった相反するものが混在しており、TREATISEからの抜粋を除くと完全な図形楽譜による作品は収録されていない。そしてスコアは常に「こうでなくてはならない」という決定論的な側面を裏切り他の選択肢を提示することによって、責任と自由(!)を巡る社会的なモデルのシュミレーションを試みるのだが、ここに後の「政治的な」作品よりむしろ作曲と社会のアクチャルな関係を聴くことができる。また、そうして書かれたスコアがこのCDのように優れたミュージシャンによってリアリゼーションされるとき、音楽は揺れ動き不安定なバランスを残しつつもこれ以外にありえないと思わせるリアリティと強度、「作曲」のみが可能な反復でもランダムでもない有機的な複雑性を獲得するという美しい矛盾に僕は息を呑み今日も耳を澄ます。そう、僕はもう何度このCDを聴いたことだろう。