アンドロイド・マリアについて
渋谷慶一郎
偶然のように人型ロボット=アンドロイドと仕事をし始めて10年近くが経った。
アンドロイドはぼくにとって、オペラのような劇場作品の強力なアイコンで足り得ると同時に開発中の楽器のようなものでもあり、故にいくつかのバージョンアップを経てもなお、自分が満足する地点には辿り着かなかった。なかでもこれまでのアンドロイドの空気制御による身体表現は、柔らかく「自然な」動作をつくることは出来るが、逆に言えば厳密な制御と即興的、自律的な運動の間を揺れたりすることは出来ないし、人間ではまったく不可能なより「不自然な」運動をつくる点においては限界を感じていた。
なので、いつか自分が望む動きと相貌を兼ね備えたアンドロイドをつくりたいという願望は、「なぜこんなにもアンドロイドと作品をつくり続けているのか?」という自問と同時にぼくの中に長い間横たわっていた。
そしてアンドロイドと仕事をし始めたときに感じた「これは将来AIの容れ物となるだろう」という直感は現在では現実となり、今回製作したアンドロイド・マリアもリアルタイムAPIによるほぼあらゆる言語でのスムーズな会話が可能になっている。
歌詞や歌唱の即興性は今後も恐ろしく進化していくことが目に見えており、ぼくは本当に新しい楽器と生命を同時に手にしたような喜びに震えている。