2003 11 01

11 01

いよいよ11月。今日は休日。たまには休まないと。

外苑前でmariaと待ち合わせて銀座へ。
メゾンエルメス8フォーラムでやっている杉本博司の写真展
「歴史の歴史」を見に行く。
話題のエルメスビルですが(っていつの話だ・笑)初めて行きました。
そもそも銀座に行くことがないので。

写真展は非常に面白かった。
最初、エレベーター降りたら非常に趣味のいい高周波と微かな
反復音が聴こえてきて、音楽は誰がやってるんだろ?と思ったら
ビルがガラスで出来ているから風の音が反響していて、それと
換気扇のようなものの周期的な回転音が組み合わされてたわけで
これは海景の写真と絶妙な組み合わせになっていてドキドキした。

エルメスの文化・芸術サイドのプロデューサー、藤本さんに偶然
会って作品の説明を聞く。非常におしゃれで柔らかい印象が変わら
ない。

その後、同じ銀座のギャラリー小柳で同じく杉本博司のarchitecture
シリーズの新作展をやっていてハシゴ。
僕は特にこのarchitectureシリーズが好きで写真集も持っている。
すごく美しい。

その後、12年前に父親が死んだ国立がんセンターの辺まで歩いて
目の前にある江戸銀という鮨屋で天麩羅をmariaに奢る。

この鮨屋は安くて美味しいから当時、何度か行った。
片隅にあるカウンターでは目の前で揚げた天麩羅を鮨のように順番に
出してくれて、一人2000円もしない松というコースを二人で食べた
後、がんセンターを眺めたりした。

僕が高校を卒業してすぐに癌で死んだ父親は7年間の闘病のうち、
最後の3〜4年はここに入院していて、僕も看病に通っていた。

僕が高校3年のとき、大学受験の前日に父親はひどい発作を起こして、
具合は加速度的に悪くなり、僕はその年の受験は見事に落ちて悪いなー
と思いつつ高校の卒業証書を見せにがんセンターに行くと父親は
ベッドで僕に、お前これからどーするんだと言ってから少し泣き、
その後、僕に自分の病院食をおいしいから食べてみろとか言って
勧めて、僕はおいしいとは思わなかったけど不味くもなかったから
一緒に食べて話をしたりして過ごした。

僕は来年も受験しようと決めてたからこの4月くらいは看病に専念
しようと思って、とはいえ父親は日に日に昏睡状態になっていった
からたまに車椅子で外に散歩に行く以外は暇だろうと思ってディスク
マンとかウェーベルンのCDとか音楽史の本とかを買い込んで、今日
からしばらく病院に泊まって一緒に過ごそうと決めたその日の夜に
容態は急変して父親は死んだ。

僕がこの経験で知ったのはこちらの都合とか気持ちに関係なく、
あまりにも関係なく人は死ぬし、戻らないとか間に合わないという
ことは確実にある。ということだ。

だから僕は間に合わない、とか今じゃないといけないという感覚の
欠如している、のんびりした、悪く言えば安穏とした無知な
人間とはどーしても気が合わないし、彼等に対して優しくなれない。

何もしてあげられなかったという後悔はその後も結構続いて、要するに
それまであまり看病に時間が割けなかったという軽い反省は抱えきれ
ないくらい大きな後悔となって僕に影響を与えた。

それから僕は好きになった人間には出来るだけのことをしてあげたい、
気持ち良かったり楽しかったりするいい思いを出来るだけ共有したいと
思うようになって、ただいつもそれ以上に自分がやりたいことや作り
たい音楽はたくさんあるから全ては速くなければいけないと思うのが
クセになった。
それは慢性的な焦りとかイライラと仲良く一緒に今も続いている。

とはいえこれはあくまでも過渡期的なものだろうという自覚もあって
最近は少し違う気分も混ざりつつある。
それは快適でもあるんだけど音楽のように形が見えない。

いや、今あたまにある音楽は大分見えてきた(というか聴こえてきた
というべきなのか。いや、違うな)。
たくさんの音がそれぞれ動いていて全体としては停止している。