2008 08 23

08 23

夜、久しぶりにさやかとゆっくり電話で話した。さやかは僕とmariaの共通の友達で、mariaにとっては姉のような存在だったと思う。
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彼女は1日もmariaのことを考えない日がない、話がしたいなと思うし、どうしてもまだいる気がすると言っていたけど、僕は日増しに彼女はいないんだな、という現実が身体に染み込んできてそれが自分を追いつめている。だから、まだmariaがどこかにいる気がするという話を聞いてよかったと思った。
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僕自身、さやかに救われることは多いんだけどfor mariaでも運営とマネージメントを彼女がやっているnotosという会社で引き受けてもらっている。
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僕もさやかもきみのことを1日も忘れるができずにこうやってコンサートのために奔走したり、そのために色々な困難を引き受けていることは届いているのだろうか。
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実際for mariaは予想を上回る申し込みという有り難い現実のために色々手際の悪いことにもなっていて各方面に迷惑をかけているけど、その困難の波が来るたび不思議と雨が降って、それが僕にはmariaがわたしのせいで迷惑かけてごめんねーって泣きながら謝っているように思えてしまう。
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僕がこのコンサートをやることを決めたのは彼女のお別れ会が終わったときに、これだけじゃ足りないと思ったからだ。音楽で彼女を送り出してあげたい、彼女を囲んであげたいとすごく思ったし、それは僕自身にとって必要なことだった。
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これからmariaの部屋にあるピアノで彼女のために曲を作ろうと思う。今、僕がつくる音楽は全て彼女のためになってしまうし、そのことに僕自身否定的ではない。レクイエムという意味ではなく新しい音楽を聴いてほしいと思うからつくる、それだけだ。それをfor mariaで弾けたらいいと思うけど、出来るかどうかは僕自身まだ分からない。何が出来るか分からないから。
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彼女の部屋には僕のピアノと彼女の机とその上に遺骨があって、僕はその机で楽譜を書く。コンサートが終わったら納骨しようと思っているからこれは多分最初で最後の経験になると思う。本当に何が出来るか分からないし、僕にとって彼女を失ってから最初の曲になる。
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作曲からしばらく離れていて、しかもコンピュータではなく譜面を書くこと、それを彼女の部屋でやること。どんなものを創ろうかというイメージトレーニングが必要で、ここ数日それをしていたんだけど、すごく緊張して左の瞼の痙攣が止まらなくて身体も震えたりしていた。それだけのせいじゃないと思うけど。痙攣は全然収まらないけど、少し音楽のかたちが見えてきたから始めようと思う。
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でもメモじゃない譜面を書くのなんて何年ぶりだろうと思って、気づいたら間抜けなことにシャープペンも消しゴムも家にないことに気づいた。まずそれを買ってこないと。