2012 08 14

渋谷慶一郎プロデュース One(X) Cage→Today

渋谷慶一郎がジョン・ケージ生誕100年コンサートをプロデュース
Salyu、飴屋法水、康本雅子らが現代音楽のスペシャリストと共演。

 

 

↑見出しは告知文そのまま引用したけど、今年は20世紀最大の実験音楽の作曲家、
ジョン・ケージの生誕100年なんですね。

 

で、その記念コンサートをプロデュースしてくださいというオファーを愛知芸術文化
センターに頂いて以下のようなコンサートをやることにしました。

 

Salyuさんと飴屋さんとevala君と、現代音楽スペシャリストでチェリストの多井君や
ヴァイオリニストの辺見さんがケージ最晩年の曲を同時演奏するっていうのもすごい
けど、同じ空間でこのblogでも紹介したアレッシオや康本さんがそれを独自解釈した
ダンスを披露するというのも絶対にないと思います。

 

出演者からコンセプトまで全て僕に一任してくれた愛知芸術文化センターすごい。

 

いまオペラを一緒に作っている山口のYCAMにしろ、ここにしろ東京以外でこういう
意欲的な企画をやっていこうというのが増えている気がする。

 

実はもうチケット発売してて、この告知解禁されたらすぐに売り切れると思うので、
来たい方は速攻で押さえるのオススメします。

 

フライヤー用に書き下ろしたこのコンサートのコンセプト文というか宣言?みたい
なのも最後のほうに貼ったので読んでみてください。
あとこれ、音響と照明もすごいです。

 

 

ジョン・ケージ生誕100年記念コンサート
渋谷慶一郎プロデュース One(X) Cage→Today

 

2012年9月26日(水) 開演19:00
愛知芸術文化センター小ホール

 

出演:
ピアノ 渋谷慶一郎
ヴォイス Salyu
ヴァイオリン 辺見康孝
チェロ 多井智紀
不確定楽器 飴屋法水
コンピュータ evala
ダンス 康本雅子、アレッシオ・シルベストリン

 

演奏曲目:
One,One5 for Piano
One3 for unspecified (amplified ambient sound)
One6,One10 for Violin
One7 for unspecified(不確定楽器)
One8,One13 for Cello with curved bow
One11 for film
One12 for Voice

 

一般¥4,000(当日¥4,500)
高校・大学生¥2,000(*25歳以下、学生証要提示)
中学生以下¥1,000(*3歳以下入場不可、4歳以上有料)

 

チケットお買い求め
○愛知芸術文化センタープレイガイド 052-972-0430
○チケットぴあ 0570-02-9999 Pコード:176-325
http://ticket-search.pia.jp/pia/search_dtl_result.do?kw=&rg=&pf=&pfdy=&pfdm=&pfdd=&ptdy=&ptdm=&ptdd=&perfIn=0&rlsKnd=&rlsStatus=&rfdy=&rfdm=&rfdd=&rtdy=&rtdm=&rtdd=&rlsIn=0&pc1=176&pc2=325&.x=72&.y=23

 

20世紀実験音楽で最大の作曲家、ジョン・ケージの生誕100年を記念したコンサートが渋谷慶一郎のプロデュースにより9/26に愛知芸術文化センターで開催される。
渋谷はケージ最晩年の「ナンバーピース」の呼ばれるその連作からの影響を以前から度々語っており、今回はそのナンバーピースからソロ楽器のための「One」と呼ばれるシリーズの同時演奏とダンスがフィーチャーされることになった。

 

「ナンバーピース」の「One」はピアノやバイオリン、チェロ、ヴォイス、不確定楽器のそれぞれソロのために書かれた13曲から成り、渋谷が今回のコンサートのためにそこから10曲を選び、「本来禁止されていた」とされる同時演奏を行うことでソロ楽器のための線的な音楽が10.2チャンネルのサラウンドシステムも加わり豊穣な響きと多層レイヤーの空間の創造が意図されている。

 

演奏者には渋谷自身がピアノでケージ作品を2曲演奏する他に、チェリストの多井智紀やバイオリニストの辺見康孝といった現代音楽のスペシャリストとヴォイスにSalyu、不確定楽器に飴屋法水、evalaといった分野を異にする演奏家によるケージの解釈、演奏が同時進行で展開される。

 

また本公演は音楽とダンスが同時進行するもので、ダンサー・振付家の康本雅子とウイリアム:フォーサイスとのコラボレーションでも知られるアレッシオ・シルベストリンがそれぞれのナンバーピースの解釈によるダンスを演奏と同時に披露することになっている。

 

__________

 

ジョン・ケージ生誕100年記念コンサート
One(X)について 渋谷慶一郎

 

ジョンケージの最後期に「ナンバーピース」と呼ばれる膨大な作品群がある。

 

楽譜にはいくつかの音符からなる和音や単音、音型が記譜されており、それらを「何分何秒から何分何秒の間に弾け」という指示が数字と矢印によって簡潔に書いてある。
つまり弾く音は完全に決まっているのだが、弾くタイミングや速度はある時間の振れ幅を持ちつつも完全に決定はされていない。
はっきりとしたメロディやリズムはなく、しかし不協和やノイジーな音楽かというとそうでもない、穏やかな緊張と「美しさの直前」のような他に聴くことが出来ない時間の伸縮が持続する。

 

曲のタイトルは全て演奏者の人数を表しており、例えば「One (1987)」はピアノ・ソロ、「One6 (1990)」はバイオリンソロといった一人の演奏家のための曲が13曲あり、「Two」のシリーズは二人の演奏家のための音楽が6曲といった感じで続き、それは最大で「108 (1991)」といった特殊な大編成のオーケストラのための音楽にまで発展する。

 

僕なりの多少の深読みが許されるなら、ケージがナンバーピースで目指したのは「完全な即興でもなく完全に書かれた楽譜に従って演奏するのでもない音はどのように書けば可能か?」ということだと思う。
これは演奏における自由とはなにか?という問題にも直結する。
なんでもありの完全即興の「自由」でもなく、書かれた楽譜を正しく弾く「制御」でもない、その中間で揺れる音色と演奏。
そしてそれは自由とは何か?という問いともすごく近い。

 

ナンバーピースは頻出するサイレンスや極端に少ない音数が特徴的であり、多くの作品は「能のような」と形容される極度の緊張感に満ちている。
そのためコンサートは少ない聴衆の中で長時間に渡って行われたことも多く、ケージはこの時期に聴衆を失ったという説もあったりもする。
また、ここには「プリペアードピアノのためのソナタとインタリュード(1946~48)」のような透明な叙情もなければ、「4分33秒 (1952)」のような明快なコンセプトやパフォーマンスもない。
しかし、この豊穣な死体のように横たわる膨大な作品群はケージが晩年に辿り着いた境地であることを疑う余地はない。また、上記したようにそこには音楽の進化、未来の音楽に通じる問いが含まれているという確信が、僕にはある。

 

実際、複雑系研究者の池上高志(東京大学教授)と第三項音楽という非線形科学の応用によるコンピュータミュージックのプロジェクトを2005年に始めたときに僕たちはナンバーピースを聴き漁り、作品について調べ続けた。
反復と持続、変化とランダムネス、確定と不確定といったテクノロジーと音楽を巡る問題がここにはほとんど内在していると同時に、時間が震えるような繊細な変化をコンピュータで生み出せないとエレクトロニック・ミュージックはここから先に行けないのではないか?というあのときの直感は正しかったと思う。

 

今回のOne(X)ではケージのナンバーピースの中でも一人の演奏家のために書かれた「One」のシリーズ13曲から10曲を選び、それらの同時演奏を試みたい。
しかし、これらの作品は当然、同時演奏を意図されて作曲されていない。
というよりも、「一人の演奏者のための」というコンセプトを考えるとむしろ禁止されていた可能性が高い。

 

しかしこの世界にケージはもういない。
作曲者の意図に従って演奏会を開くよりは、ケージの本質を見習って多少の暴力性をもってこれらの作品の読み替えと変型、異化を試みたいというのが僕のこのコンサートに対する欲望である。

 

最小限の音の断片と時間に関する指示が書かれた整然と書かれた楽譜は、まさに音楽が生まれる最小限の「手がかり」という言葉がふさわしい。
それぞれの演奏家がその楽譜とストップウオッチをだけを手がかりに独立した時間と身体による演奏を行うのだが、それらが偶然のように重なる時間を聴いてみたいと思ったのがそもそもの発端だ。

 

そして一人の演奏者のために書かれた音楽が相互に反応や干渉することなく重なり、一本の音の線が響きとなるときにいわゆる連帯のための音楽とは違った別の調和の可能性を見出だすことは出来ないだろうか?という目論みもあったりする。

 

また、ケージはマース・カニングハム舞踏団との継続的なコラボレーションでも知られ、そこにはいわゆる音楽とダンスのインタラクションはなく別個に進行する身体と時間が提示され続けた。
今回はの公演では二人の希有なダンサーによるナンバーピースの身体的解釈とも言えるダンスがそれぞれソロで演奏と同時進行することになっている。

 

また、音響的には水平方向の5.1chサラウンドと垂直方向の5.1chサラウンドシステムを掛け合わせた12台の多面体スピーカーによる10.2chのサラウンドシステムを組むことによって、こうした多層的な予測不可能性を単なるコンセプトレベルで終わらせるのではなく、明確に知覚・体感出来るようにしたいと思っている。

 

【一人の演奏家のための「One」の複数(X)人による同時演奏】、という矛盾をケージはあのスマイルで喜ぶだろうか?それとも怒るだろうか?
しかし作品が問いであり続けることによって生き延びるケージに対して、演奏で答えを探すのは彼の術中にはまっている。そうではなく、演奏することでさらに問いを掛け合わせるようなコンサートがあってもいいと思う。

 

そして彼が晩年のナンバーピースを通じて目指した「即興と確定の中間」の響き感じることが出来ればコンサートは成功だと思う。
それが少しでもこれからの音楽100年の手がかりになればと思う。