2007 05 31

05 31

13時過ぎにapple store銀座のシアターへ。
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ZMPのmuroという音楽ロボットの自律運動プログラムを池上さんが書いてそれの記者発表会。一部報道では研究に僕も参加したように書いてありますが、ATAK000のtr4をデモンストレーションに貸しただけです。
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muroは動くラジカセのようなロボットでipodを搭載できたり音に合せて踊ったり動いたりする商品で、今まではbpmを拾って同期して踊るということだけだったんだけど今回のは自律性を持って、しかしランダムでもなく動く。それによってペットのような気まぐれさが顕われるのでは、ということなんだけどデモンストレーションは困難なものだったように思う。池上さんの発表は面白かったんだけど実装されたロボットは人がついていないと壁にぶつかったり台から落ちそうになったりするし、そもそも外部からの入力と自律的変化の往復自体が自律的に行われるのが自律的運動なのではないかと思うのだが、それは難しいと事前に聞いていたとはいえ、そうした事が問題にならずに気まぐれさが実現されているかも、とかいうのはあまり興味が持てなかった。
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自律的運動によってペットのような気まぐれさを作るというコンセプトには常に人間らしさやそれに準ずるペットらしさがリファランスになってしまうという、ロボットにまつわる問題設定の限界がある。それが人智を超えるというベクトルを持っていないからワクワクしないとかいうことはともかくとして、人間らしさなんていうことをホントに分かっているのかということが問題でこれは「理系が考える文系問題」の典型のように思う。情緒的/感覚的な問題を科学的にアプローチするというのは流行りだが、それはアプローチするということ自体がパフォーマンスになっているというだけで、それ以上でも以下でもない。単純な好奇心の発露を複雑さに接近したという風に置き換えることと、気まぐれさとは何かということは取りあえず置いておいて、気まぐれに見えるというサービスを提供することはある種似たベクトルを感じる。
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lee君はblogでロボット全般のデザインの欠落を書いていたけどそれには僕も100%同意の上でやはり問題設定に興味を持てることがあまりにも少ない。今回の動きを観ても驚きや感動はないのはつまり見たことがないというだけでは見せ物にもアートにもならない。これはロボットに可能性がない、とか言ってるのではなくて設定に多様性が顕われてテクノロジーとして自分がやっているようなことと交差するのにはまだ時間がかかるのではないかということなんだけど。
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発表が終わった後、銀座で打ち合わせ一件。その後、池上さんとmariaと表参道で降りてNadiff閉店セール最終日へ。ほとんど欲しいものは売れた後だったけど、僕はジャスパー・ジョーンズの1960〜1970というドローイングのスケッチのような感じのものを購入。ジャスパー・ジョーンズって名前は有名だけど良い印象が全くない人だったけどこの作品集に入っているラフなスケッチやメモは時代の勢いを感じてよかった。mariaはポール・ヴィリリオがキュレートしている事故の写真集、池上さんはFHz展のカタログを購入。ワインが配られて店内にはサティの「家具の音楽」がリピートされていい雰囲気。再会期待してます。店で久しぶりに倉垣君に会った。松陰浩之さんに「おー色々活躍してるのはちゃんと知ってるよー」と言われる。松陰さんはおっぱいの趣味が似ていた気がする。大分昔に話したからうろ覚えだけど。
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一度帰宅してから骨董通りのバナーバレットのオープニングパーティーへ。すごい人。知り合い多数。帰りに渋谷で24時間営業のすしざんまいで夕食。ここは前来たときよりも美味しくなった。ゴツイ眼鏡のお兄さんに握ってもらうのがいいみたい。たくさん人に会って話した日だったなー。