2007 02 22

02 22

そういえば、そろそろ色々掲載誌が。filmachine phonicsについては結構な数の雑誌に取り上げて頂いているので全部をフォローするのは難しいのですが
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タワーレコードのフリーペーパーであるintoxicate誌の巻頭でYCAMのキュレーターである阿部一直さんが「ストローブ=ユイレとfilmachine/filmachine phonics」という過激なテクストを書いていて、これは面白いです。当初は「filmachine phonicsの分量が少ない、しかもこれはCD屋のフリーペーパーなのに」と言っていたのですが内容が面白いので良いと思います。
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ちなみにその前のほうのページでは高橋鮎生さんが遺伝子と新井満について書いていて僕のすぐ後には畠中さんが中ザワヒデキさんの新譜について書いているというのも絶妙なバランスであります。
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あと発売中のmac power誌の巻頭カラ−1Pに写真とインタビューがあります。mac power誌はATAK NIGHT3の東京公演のライブレポートも決定しているので楽しみにしていてください。僕も何か書くことになってます。
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あと多分、発売中のsmart max誌にもレビューが出てますがこれは未確認です。スタジオボイス誌のインタビューは最近校正したので次号でしょう。
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えーと、そうそうツアー日記ですよね。そもそも御存知の通り、最初から波乱の幕開けでPan sonicのイルポがインフルエンザで飛行機に搭乗できないというメールが相棒のミカから来たのが2/14。ツアーの初日は2/17にYCAMという、今書いているとよく動転したり騒いだりしなかったなという事態なのですが
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そもそも僕はその前からかなり切羽詰まった状況で尋常じゃなく忙しかったんですね。今回のツアーはATAKの5年という長い結節点の一つでもあるし、第三項音楽の第一段階の結節点でもあるのでツアーの準備は早めから初めていたのですが、三原さんのコレクションの音楽という断れないものが入ってきたり、filmachine phonicsの取材、打ち合わせが日に2〜3件入っている日というのが何日も続いてそれが終わった後、東大の研究室に行って朝の8時まで作業して帰り、昼はまた打ち合わせと取材、ツアーの諸々というのが重なって疲労困憊していたのです。
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なので予想以上のトラブルである「イルポが来れない」というのに対して冷静に対処できたのかもしれない。例えば自分のライブの準備も3日前くらいに終わっていて準備万端で荷物の準備などしてるような状況だったら逆にかなりダメージだったと思うんだけど、夜中研究室で一人「ああ間に合わない!どうしよう」とか思いながら一人で没頭して音楽作っていたときにmariaから青ざめた声で、イルポの件の電話を受けたときも思考はかなりクリアで
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ああ、やはりトラブルは起きたか、そもそもこのツアーは今まで順調過ぎたしな→じゃあどうしよう→ミカのソロは十分なクオリティなはずだし、プラス僕とデュオもやって切り抜けるというのもありだが→数が一つ減るというのはクオリティの問題とは少し別次元の不満をせっかく遠くから来てくれるお客さんに残すのではないか→そもそもこういうピンチこそ逆に面白くしなければならない、これこそエラーじゃないか
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という思考が電話で話を聞いてすぐに働いて、じゃあ誰か呼ぼう、もちろんイルポの飛行機キャンセル代、チケット買い直し、新たなゲストのギャラと交通宿泊費などかなりのダメージだが(今回は基本的に予算を受けてこっちでやっていたのです)そんなことは言ってられないし、そもそもこれを切り抜けるというのは面白いじゃないかと思ったわけです。
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思うに極限まで忙しいと迷うとか悩むというギアが完全に無くなるというか、直感的に正しいチョイスをするようになるものです。なので最近僕は恐ろしく悩まない。考えるけど悩んだり迷ったりしないという人間になっていて悩んだりしてる人を見るとヒマだなと思うようになっています。あと決断に時間がかかる人というのも同様です。決断が間違っていても直せばいいだけで、しないよりは決断して始めて違うと思ったら何回も直すほうがクオリティも上がるし意外な結果も現れる可能性がある。
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で、じゃあ誰を呼んだら面白いかということなんですが、これも迷いなく灰野さんで決定したんですね。そもそもなぜ灰野敬二と僕が一緒に最近やっているのか、という根本的な疑問がある人も多いと思うのですが
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まず、ATAK NIGHT3の東京公演に関して、フロア/スタンディングというのは決定していてDJもテーリで決まっていてライブは全員アグレッシブというかリズムはあるのでともすると流れが良過ぎるという危惧があったのです。普通の気持ち良いクラブイベントなんて僕がやる意味は全くないので、それだけは避けたいと。簡単に言うと機械のビートによるライブが4つも繋がってDJで朝まで、というのはちょっと違うという気持ちがあったのですね。
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で、誰がいいか。存在自体がノイジーで流れを一度スパッと切断出来る人はいないかねーという話をよくmariaとしていて、そのときに浮かんだのが灰野さんで僕は彼のギターのプレイが好きだったのです。ただ、この時点で全く面識もないから誰かから紹介してもらわないとなー、とか思いつつ忙しいまま時間は過ぎて
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1月のある日、公園通りのクラシックスがある山手教会のカフェで佐々木敦さんによるインタビューがあったのですが、その前に時間が少し余ったので持っていたフライヤーをクラシックスに置かせてもらおうと思って立ち寄ったら、灰野さんがセッティングしていたんですね。偶然。
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で、人違いが起きるタイプではないので、どうしようかなと思いつつ僕はその場で話しかけて出演交渉をしたのです。いきなり。こういうのは大学1年の頃に高橋悠治をコンサートの打ち上げでつかまえて2時間くらい話した後に1年後には一緒にコンサートをやったりとか、時々僕には訪れるパターンなのですが、ともかくそのときに出演は多分大丈夫ということで連絡先を交換して別れたのです。
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あと重要だったのはPan sonicのミカが灰野さんの大ファンで年内にベルリンでやることになっていたんだけど連絡が行き違っていたというのもあって、どうせだったら東京で共演というのが早いなというのもあって。
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で、そのクラシックスの次の日に電話すると23日に10分だけシークレットで出演、25日にシークレットギグというのは快諾で、フライヤー読んだらすごいこと書いてあるからCDを送ってくれ、責任とれよ(笑)とか言われたので、何枚かCDを送ったら面白かったみたいで、010はヘッドフォンが壊れていたとかで聴けてなかったけど008など非常に気に入ってもらえたみたいで、その後はスムーズな関係だったんですね。
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なので1月中に23日のUNITのシークレットと25日のギグに灰野さんというのは決定したいたわけです。
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そういう経緯があったのでイルポがYCAMキャンセルというときにまずYCAMと電話で話して「灰野さんがいいと思う」という旨を伝えて、しかし向こうはその経緯を知らないから来てくれるはずもないし、最初は冗談かと思ったみたいなんだけど僕は何となく実現する予感があって、14日の夜中にsuperdeluxeで灰野さんがDJしてたのは知っていたから終わったタイミングで電話して直談判したわけです。3日後に山口のYCAMに来て、ミカと1時間デュオでやってほしいということを。
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で、それはかなり急なお願いだったので心苦しかったんだけど、快諾して頂いてあとは手配ということになった。僕も日頃音楽のことしか考えてない、自分の音楽をどうすればいいかということだけ考えているような人間だけど灰野さんもそうなんですね。やってる音楽は全然違うけど。だから意思の疎通は驚く程スムーズでそれが救いでもあった。とはいえこれが2/14〜15。僕とmariaの東京出発は2/15の夕方で22時にミカと福岡で待ち合わせてとりあえずツアーは始まったというわけです。