2006 07 26

07 26

今日から池上さんと大海君がYCAMに合流。
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つまりATAKの僕、maria、エバラ君と東大から池上さん、池上研究室の大海君(sndchangerの生みの親ですな)が揃ったというわけです。
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ここ数日、YCAMの巨大な音響装置と格闘しているけど、音楽の作り方が変わってきているのを感じる。こういう感触はピアノで色んな編成を自由に作曲ができるようになったとき、ハードディスクで自分の音楽の作り方というか音色から作るという感じを掴んだときと同じくらい大きい。
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つまり三度目だ。例えば砂嵐のように音が充満していくプロセス、つまり空気のような音楽というのはオーケストラや室内楽でやるとドビュッシー以上にはならないし大概かったるいことが多い。
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しかしこの8×三層の24個のスピーカーが5×7.5mの巨大な円形に囲まれて不均一な足場の頂上でずっとコンピュータに向って作曲していると、空間を音で切ったり歪ませたり溢れさせたりということを指向していることに気づく。
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知覚の揺らぎ、というのは音楽を作るとき常に起こることだし、そもそもそんなに有り難く言うようなことではない。ものを作る場合当然なことだ。が。今回は音楽というか音とその揺らぎ、崩れの距離がすごく近い。新しい楽器に出会った感じにも似ている。
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そして今作っている音楽は絶対にこのシステムでないと再現できない。つまりここに来ないと聴けないということはここでないと作れないということでもある。
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そして強く思うのはフリーハンドで音楽をつくる、ということがコンピュータで可能になるのはこうした新しい装置によってではないか、ということで。
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何の青写真もなく、何も考えないで巨大な粘度の形をぐにゃぐにゃと変えるように音を重ねたり切ったりしているうちに音響と運動の連続が現れる。こういうとき形式は事後的に決定されるしそれがフリーハンドというすごく古いけど新鮮な感触を思い出させる。
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今まで作ったことがない、聴いたことがない音楽になっていっていると思う。